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だから論理論理 説なくて


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読了。

 
論理と随筆は、書き分ける必要がある。
 
それはつまり、一つの事象について書く時、論理的な文章と、日本語で書かれる自然にして優れた文章とは、相反する関係にあるからだ。
 
内容はともかくとして、日本における「よしとされている文章の構成」は、論理的でない文章の見た目をしている。
序論→本論→結論とするうち、あれこれと言葉を並べ立てて結論に主張を持ってくることなどがそれにあたる。
更に、奇しくも昨日書いたような魂を砕いて施されたような装飾、形容なども、論理的な文章においては無駄なものとされる。
 
それよりは主張と根拠を平易な言葉で判りやすく、かつ徹底的に述べよというのが論理的な文章の「よしとされる文章の構成」だ。そうでなければ、論理の世界においては悪文の烙印を押されることとなる。(著者はそれゆえパスカルの『パンセ』については批判し続けている)
 
随筆を書く時は随筆のように、論理的な文章を書く時は論理的な文章を書くようにするべきなのだ。

 

 
しかし、そんな文章が果たして自分の好みかというと、そんなことはない。
そんなのつまんない!!!!!!論理ぽーーい
 
つまり要するに、Tabキーで持ち替えるようなもんなんだよ。俺様の武器は依然リッチデッドリー長刀で、必要な時だけ手裏剣とかシリンダーとか持てばいい。
 
前日、論理的な話と親業をごっちゃにして、失敗という結果になったので、必要と感じて購入した。
 
既に把握していた弱点と、そうでない弱点が幾つか発見された。
トピック・センテンスの欠如や主張を自ら弱めてしまうところなど。
 
構成力はあるが、構成が悪い。
 
などなど。
 
しかして、この本の興味深いところは、暗示の手法については「フェアでない」といいつつも、暗示の手法にしばしば頼っているところであろう。
しかしまことに論理的であれば、それを指摘された所で適切に反論すればなんの問題もないということだ。
 
著者はフェミニストなのだが、これもまた面白い。
フェミニストについて言えば論理的な人間など皆無だと思っていたが、論理を携えた主張と、そうでない主張が内容が同じであったとしても、抱く印象は全く違う。
にしてもやはり読みやすい文章はすぐ読めるな……。一日のうち、休み時間だけで全部読めてしまった。
そういう意味でも、論理的な文章というのは読みやすくできている。
 
 
 
誤謬と詭弁についても学びたいところ。