かぜはく電脳曼荼羅

玄秘学、食文化、ゲーム、生と死に非常な関心があります。

エターなるかぜはくの羨望

近場に陶芸の美術館があるからこの前行ったんだけど、僕にとって陶芸というものはそこまで縁のあるものではなく、展示物に関して、「破れやすい陶磁が、平安期や鎌倉期のものが現存しているのはすごいなあ」とか、「手作業でこのような細かいものを作り上げて、焼き上げた際に破損しないのもすごいなあ」という感想が大部分であった。

 

当時の人々の暮らしが垣間見れたり、想像できるというのはあるのだが、門外漢に過ぎると凄いもののその凄さというのが理解できないというのはあると思う。

 

何が言いたいかというと、人が生きているうちに、何かに対して驚嘆するとき、僕はその対象に関して少なくともその凄さを認識出来る程度に知識があるというのは教養であると思うし、それがあるだけで――その人は達人の妙技の一端を認識できるということは――実力であり、素質であると思うのだ。

 

だから僕はこれからも人生の様々なタイミングで、出来るだけ多くの「凄い!」と思える機会というのを増やして行きたいと思う。何がそのための引き金になるかは判らないが、その切っ掛けさえなければ、得られるはずだった知識や技術について学ぶ機会さえ得られないと考えているからだ。

 

さて今回は、僕がまだ紅顔の美少年であったころ、ゲームをツクったりしていた時に「あ、これやべえな」と感じたゲームについて書いておこうと思う。

 

月夜に響くノクターン」というゲームがあって、RPGツクール2000で作られたゲームなんだけど、いわゆる黒歴史ノートを量産していた時分の時、感銘を受けたものだ。

ダークファンタジー的なストーリーはもちろん、僕はこのゲームにある種の執念とも言えるものを感じ取った。

雑に何が凄いかを一言で言うと、作り込みが非常に細かいのだ。

キャラクターが画面を移動するたび、その足の挙動にあわせて鳴る足音。マップチップによって、草原なら草を踏む音、洞窟なら革靴が土を踏みしめ、石を叩く硬い音。水たまりなら水音。扉を閉める時でさえ、そのキャラクターは扉を閉める時に後ろ手に閉めるのか、それとも向き直って正対して閉めるのか。キャラクターの歩き方や荷物の持ち方、表情さえ伝わるかのようだった。

 

システムに関しても独自の要素が非常に多く、クオリティも高かった。しかし当時の僕には真似することが精一杯で、同じものは作れても、キャラクターの息吹を感じさせるような作り込みまでは作り込むことは出来なかった。

 

後にこのゲームがリメイクされ、ついでにそのリメイクされた奴もめちゃくちゃやり込んだのだが、リメイクされたゲームからも同じような、執念すら感じられる作り込みを感じ取った時に、僕はその事に感動した。

 

そのことをふと思い出して、またプレイしてみることにした。

 

プレイ日記を書くかどうかはまた決める。