ゼルダ無双の話 一兵卒からのサクセスストーリー黙示録
色々あって買っちゃいましたね。
ゼルダの伝説 厄災の黙示録を……。
『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』を下地にしてコーエーテクモが作った無双ゲーなのだが、今のところ面白くプレイしています。
ブレスオブザワイルドの世界線では、リンクくんが回生の祠から目覚めた時既にハイラル全土は厄災ガノンの手に落ちていて、そこから単身でハイラルを解放していくストーリーだった。
今回の『厄災の黙示録』ではハイラルが厄災ガノンによって陥落する時代、つまりブレスオブザワイルドの百年前の時代をプレイしていくわけですね。
魅力的なのに掘り下げの足りなかった英傑についてとか、ハイラル陥落に関わるストーリーなどが補足されるのを期待しています!!
特にミファーちゃんについて、ね……。
厄災が復活間近!ということでハイラル各所では魔物がめちゃくちゃ増えており、今や中央ハイラルに押し寄せるまでになっている。
最初からクライマックスだ。
他の地方との境の守りはどうなってたんだよ。
ハイラル近衛兵の家系であるリンクくんも中央ハイラル防衛のための戦いに参加しており、ボコブリンとかモリブリンをなぎ倒しまくっていく。
リンクくんの操作性はすごくいいですね。回転斬りの使い方がブレスオブザワイルドとすごく近くて、カウンターとしても使えるし、置き技にも出来るしもちろんダメージソースとしても使える。なんだかんだリンクくんが一番使いやすいんだよな。
途中執政補佐官のインパが持ってきたシーカーストーンが上手いこと反応しておまけの白くてちっちゃいガーディアンが起動。シーカータワーが地中からズボッと生えてきました。
本来手順を踏まなければ使えないシーカーストーンは白いガーディアンの凄いパワーで電源(エレクト)り、全員がシーカーストーンを使えるように。
一人と一機を味方にして無事中央ハイラルに押し寄せた魔物の大群を押し返すことに成功しました。
ところで我が家ではガーディアン全般のことを「ミルポワ」と呼んでいます。
理由は試練の祠でガーディアンが出てきた時のBGMです。
イントロを聞いてください。
ミルポワッ ミルポワッ
わかりましたか?
ミルポワというのは野菜のみじん切りを油で長時間炒めたやつのことです。
ところでインパ、この若さで執政補佐官ってバリバリのエリートですよ。
このハイリア王国がどんな政治体制やってるのか知らんけど、ローマに例えればカエサルにとってのレピドゥスですからね。
判りにくいって?レピドゥスの話は長くなる上に地味だからまた今度ね。
政治の長たる執政官が不在の時はこいつが政治するということです。ハイラル王出陣!とかハイラル王病欠!とかになったらインパが政治の長になる。インパ王国建国ということです。
ブレスオブザワイルドではあんなに威厳のあるチャンバだったのに、若かりし頃はこんな……「お味噌汁のお味噌って最初にいれちゃダメなんですか?!」とか言いそうな小娘だったんだね。
この戦いでハイラル王の目に止まったリンクくんはゼルダ姫付きの近衛騎士に就任。
馬に乗ったとこは今んとこ見てないですが、騎士なのです!!
ところで、ブレスオブザワイルドのゼルダってさ……色々言いたいことはあるんだけど、どんなキャラかと言うと、「大好きだった趣味を親に否定されることで自己肯定感を喪失し、親と国民からの大きすぎる期待に押しつぶされてしまったコンプレックスに苦しむ眉毛とケツのでかい女」です。
マユゲオブザワイルドです。
彼女はハイラル王家でも非常に大きな意味を持つ人物で、ガノンを封印することが出来る力を秘めている。代々のゼルダ姫はその力に目覚め、歴史の折々にガノンを封じてきた。
しかし今回のゼルダ姫はどれだけ努力しても、どれだけ熱心に修行しても一向に封印の力に目覚めない。
その上でお付きの騎士であるリンクくんがハイラル史においてもキーパーソンといえる「退魔の騎士」とになってしまったからもう大変ですよ。
劣等感を刺激されてリンクくんに冷たい態度を取ってしまったり、突き放すような言葉を使ってしまったりしてしまう。
リンクくんの背にあるマスターソードを見る度に自己嫌悪に陥って苦しむ。
それだけに限らず、せめて自分に出来ることをしようと打ち込んだ古代遺物の研究も、専門家で第一人者であるプルア(インパの姉)やロベリーがいるので、ますます自分の存在意義に悩む。
しまいにはお父さんに遺物研究を否定されてしまう。幼い頃からお母さんと一緒に取り組んできた思い出そのものとも言える研究なのにね。
いいぞ……君素質あるよ。
グフフ、酒がうまくなるわい。
リンクとゼルダって、二人の関係性がいつも希薄なんだよな。
ブレスオブザワイルドにおいてもリンクくんは仕事なので一緒にいるような態度だし、思いやりの言葉を掛けたりとかはしない。
ゼルダもリンクくんを特別視している様子もあまり感じられない。
退魔の騎士と封印の姫だけど、それだけって感じ。
しかし未来から来たと思しき白いミルポワちゃんこそ、意味が無いと言われてきた研究に意味があったことの証左だよなあ。
話は変わるけど黙示録ってなんだよって思いませんか?
フィクションとかでよく出てくる単語だけど、どういうものを指すのかいまいち不明ですよね。
文字列から伝わるのは「なんかやべー書物」という印象。
そう、黙示録とは、「やべー奴が書いたやべー書物」のことなのです!!
読んで字のごとく黙示をまとめた書物なのだが、まず黙示とは?という疑問が出てくる。
雑に言って、黙示というのは神が預言者に授ける神の言葉であり、秘密の暴露であるとされている。
まだ判りにくいと思われるので、世界一有名な黙示録、『ヨハネの黙示録』の冒頭を引用してみることとしよう。
1:1
イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをそのしもべたちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、しもべヨハネに伝えられたものである。
神がすぐにも起こるべきことを神→イエス→御使い→ヨハネの順で伝言ゲームしていった結果、こういうことが起こるかも!みたいなことを書いた預言書的性格を持つ書物なわけです。
断言しておきましょう。こういう神秘的要素を味付けにして未来のことを語るやつ、全員詐欺師ですよ!!
ここから次のセクションまでは僕の黙示録のヨハネ批判だから別に読み飛ばしていいよ。
未来のことについて、予測は出来る。それは情報を元に結果を仮定する方法に過ぎないのだが、例えば強い風が吹く→砂埃が舞う→盲僧琵琶と瞽女が増える→三味線の売上が増える→ねこちゃんが減る→ねずみちゃんが増える→ねずみちゃんが桶を齧る→桶屋が儲かる!!みたいな理論ですが、これは因果関係があっただけで相関の関係があるとはいえない。
つまり風が吹いても桶屋が儲からないことだってある。
全てのことが想定通りに動くわけではなく、突風が吹いた時点で人は外に出ないかもしれないし、盲僧琵琶や瞽女じゃなく按摩が増えて思ったほど三味線が売れないかもしれない。
全てのことは因果と相関の関係があって成り立っているが、その全てを想定することは出来ない。
だから終末のラッパが吹き鳴らされる度に世の中の色んなものの三分の一が滅んで、気に入らねーやつらが死んで、最終的に邪悪な物がなくなった世界にイエスが降り立って神の国を作って人々は神をあがめながら暮らすであろう。そしてその時はもうそこまで来ている!!などというのは、荒唐無稽な妄言であって、何の確証もない、「風が吹けば桶屋が儲かる」よりも更に程度の低い未来の推定であると僕は考えている。
角度の高い推定をするには数値が不可欠である。
ロジカルに未来の推定をしようとするならば、三味線の売上前年比とねずみちゃんの発生数の推移の相関関係を明らかにしなければならないのだ。
黙示録のヨハネさんにおかれましては、まずはこの世界が邪悪に満ちているということを証明した上でいつ誰が邪悪に満ちた世界を滅ぼしていつ神の国が建国されるのかデータに基づいて述べていただきたい。
正直僕は黙示録のヨハネさんのことをおめーこそ偽預言者だろ!と思ってます!
話が長くなったが、つまり黙示録というのは神的な存在が預言者にした秘密の暴露の内容を書いたものということであった。
このゲームのタイトル、『厄災の黙示録』における、神的な存在とは一体誰なのか。
それはもちろん時戻りを司っている白いミルポワちゃん(使徒)を遣わした存在であろう。
一体誰なんだろうね?気になるね?
そしてその神的な存在が明かす秘密とは?
如何にしてハイラルが滅び、一体誰が滅びゆくハイラルを救うために白いミルポワを遣わしたのか?
次回、ドジっ子真面目はらぺこ執政補佐官クソデカ編笠女忍者って属性盛りすぎじゃない?黙示録。
ゼルダ無双の話(ゼルダ無双の話はしていない)
一年前にゼルダの伝説ブレスオブザワイルドをプレイして、今家内が横でプレイしているのを見ている。
BGMは特に本題に関係ないブレスオブザワイルドで非常に気に入っている曲だ。
この曲のチェロめちゃくちゃかっこいいよな。
このゲームの自由度はすごいよな。
今行く道の先に何があるかを知りたくて、つい崖を登ってしまう。
ブレスオブザワイルドで僕の推しはミファーちゃんです。
ボイトレだからだろって?
それもある。
辛抱たまらんからミファーちゃんの話するね。
ところでミファーちゃんってピクシブで「リンク×ミファー」で検索かけて夜中布団の中でニタニタする生活送ってそう!!!
大体そういう目でミファーちゃんのことを見ています。
リンクはご存知ハイリア人(ちょっと耳のとんがった人間)で、ミファーちゃんはゾーラ族(半魚人)なのだが、当然種族が違うので寿命も違えば死生観も違うわけです。
ミファーちゃんはリンクくんの幼なじみで、アアッ もうつらい
幼い頃一緒に遊んだりしていたらしい。
しかしハイリア人は一瞬で大きくなるので(ゾーラ比)、再会した時には既にリンクは近衛騎士になった後だったらしい。
成長して変容していくリンク、姿の変わらないまま、変わっていくリンクを見つめるミファーちゃん、ウワーッ!
ゾーラの里でリンクはゾーラの王からゾーラの鎧を授かるんだけど、これが恐ろしいほどリンクくんにぴったりなんです。なんでもこの鎧は、ゾーラ族の女が婿となるものに渡す鎧 ウワーッ!!!!
シド王子の話によると、ミファーちゃんは夜なべしてこの鎧を手編みしていたらしい。
長老たちの中にはハイリア人が嫌いなものもいるから、重臣たちには何も言わずに、ただ一人で縫い物を……ウワーッ!!!!
そんなミファーちゃんの魂が百年間囚われている神獣ヴァ・ルッタの中にミファーちゃんの弟シド王子と力を合わせて突入するわけですよ!!
ところでこのシド王子、カワイイね……(舌なめずりする音)。
自己肯定感も高いし他人に対しても肯定する気持ちが強くて、とてもいい。
この兄弟、推せる!!
ブレスオブザワイルドのダンジョンはこれまでのシリーズの中では割と薄味。
祠とか祠チャレンジが沢山あるからね……。
僕が最初にプレイした時は全くなんの強化もせず、一直線にここに来てしまったので結構苦労しました。
しかし今回のプレイでは家内はマスターソードを既に抜いているし、食べ物も沢山ある(実質無敵)。
ただマスターソードがあるとあまりにヌルいのでマスターソードだけ縛ってもらいました。
ここのボス、水のカースガノンは超長い槍を持っていて、操作に慣れてないと近づくことすら出来ない。
でもここにブレスオブザワイルドのすごい設計があると思うんだよな。
技術曲線が正の方向に動くと、対処法が沢山思いつくようになっている。
例えばこのゲーム始めたての僕は制御装置をトーチカにして弓をちゅんちゅん撃つことで削るしか戦法がなかったのだが、ライネルを相手にしたあとの僕なら余裕でバックステッポしてラッシュを叩き込んでいただろう。
ビタロックで動きを止めてからヒットアンドアウェイもいいし、雷の矢でヘッドショットするのもよい。
思いついても出来ない最初の状態と、熟練した後では見える景色が違うのだなあ。
ただ最初のプレイではここで負けまくったせいで何度もミファーちゃんのボイトレセリフを聴くことになり、そのせいでミファーちゃんのことが好きになったのかもしれない。
単純接触効果か?
「百年前、私はそいつにいい!」
「気をつけて!その槍、射程がすごく長いい!」
などの伝説的ボイトレセリフは必聴。
水のカースガノンを倒すとミファーちゃんの魂は百年の幽閉から解放される。
二度と戻ることは出来ないゾーラの里を遠望しつつ、望郷の念を一人呟く。
そしてミファーちゃんから貰えるのが「ミファーの祈り」です!
このパッシブ能力はリンクくんが死んだ時自動で発動し、三十分に一回使えるようになる。生前よくリンクくんの傷を治してあげてたらしいが、死してなお想い人の力になろうとするミファーのいのり、ウワーッ!!!!!!!
そしてミファーの祈りが再発動出来るようになった時にリンクくんに囁かれる、
「ミファーの祈り、いつでもつかえるょ……」の言い方よ。
ちょっと嬉しそうなんだよな。リンクくんを癒すことが出来るのが嬉しいのか、自分を必要としてくれるのが嬉しいのか、どろどろグチャグチャした一方的な思いが「いつでもつかえるょ……」に込められていて、僕は好きです。ウワーッ!!!!!!!
そしてゾーラの里に戻ると、里を襲っていた異変長雨の解消と神獣ヴァ・ルッタの鎮静化ついて感謝され、ゾーラの王から一本の槍を貰う。
これがミファーちゃんの形見の槍で ウワーーーーーッ!!!!!!!
アッアッ アバーーーーッ!!!!!!!
はい。ミファーちゃんの話はこれまでです。
今回のタイトルはゼルダ無双の話とか言っときながらブレスオブザワイルドのミファーちゃんの話なんだよ。すまねえな。
ブレスオブザワイルドは続編の制作が進んでいるらしい。
でもその前にゼルダ無双災厄の黙示録という無双ゲーがコーエーテクモから出ていて、これがブレスオブザワイルドの百年前の話らしいんですよ。
その、リンクくんと生前のミファーちゃんはがすれ違い通信してると噂の……?
ウワーッ?????
気になったから体験版をやりました!二話までプレイ出来るのだが、十分すぎるほど遊べますね。
これおもしれえ!となったキャラはインパですね。
ブレスオブザワイルドでは落ち着きのあるおばあちゃんだけど、無双ではちょっと抜けたとこのあるお姉ちゃんで、ニーハイのようなものを装着しており、小太刀で戦うタイプの子です。
キャラ固有技でその辺の敵に「印(?)」なるものを押印出来て、それをぶん殴ると「回収(??)」することが出来て結果的にインパの分身が増える(????)。
分身が増えたら当然沢山斬れる!ここだけわかる!ダウンローデッド(完全に理解した)ですわ!
当然と言うべきか無双系のゲームをSwitchで動かしてるのでインパみたいに画面に「圧」を出してくるキャラは処理落ちを招く。
このカクカク具合、たまらん(そうか?)。
特に二人プレイしてるときのカクつきはBASARAで慣れた我々夫婦も「おおっとこれは……」となってしまう程度。
最大フレームレート30fpsらしい。
描画速度に極端なこだわりのある方は御遠慮ください。
私達は「PS2の方がまだマシやんけ!」と言いました。そのレベルです。
しかしストーリーはかなり丁寧にやってくれてる印象を受けた。
ここのところはすごく評価と期待をしています。
非常に憎いところは、ミファーちゃんに会いに行くところで体験版終了となったところですね。
このゲームのミファーちゃんはキャラクター交代する時、
「ウルボザさん!」「ダルケルさん!」と敬称つけて呼ぶらしいのだが、リンクだけよびすてらしい。
距離感!ウワーッ!!!!(ここで涙腺がイカれる)
寄り添うようでいて、お互いを頼るような、しかしそれ以上は決して発展しない……アッたまらん!ンンンンンン!
頼む!ゼルダ無双災厄の黙示録でもブレスオブザワイルド2でも決して報われないでくれ!いつまでもリンクくんへの一方的な思いを燻らせていてくれえ!!!
それが私の切なる願いです。
何故ならその方が、酒が美味くなるから……。
こいつまたミファーちゃんの話してんな……。
家内はつい最近(つっても2年くらい前か??)初めてゼルダの伝説時のオカリナをプレイしたのだが、その後トワイライトプリンセス、スカイウォードソード、ブレスオブザワイルドと立て続けにプレイしている(とか言っときながらコントローラー持ってるのは僕が多いんだけど)。
僕にとっては思い出補正があるから最終的にやっぱ時のオカリナが一番面白いと思っているのだが、家内もシリーズをつまんでプレイした結果、同じ結論に達したのがまた面白い。
彼女は人身御供が好きだからね……。ストーリーが性癖に刺さったんだろう。
かく言う僕も大人になってからプレイしてみると、時オカのハイラル正教の邪教っぷりには感動すら覚える。単純に私たちの分野に近い部分があって推せるだけなのかもしれない。
だが、何はともあれゼルダの伝説という巨大なIPがあるうち、時のオカリナという作品が今もなお色あせない、燦然と輝く素晴らしい作品であることは間違いない。
多分死ぬまでにもう何度かはゼルダの伝説時のオカリナをプレイすることになるだろう。
ところでムジュラの仮面をSwitchでリメイクしてくれませんかね?リンクくんの辺獄をもう一度プレイしてみたい。
『こゝろ』を読みました。
やはり少年時代の穢れを知らない時分の僕と、今の僕では全く違う受け取り方をするね。
「わたし」が「先生」に持つ気持ちは、僕が我が人生の師にして君主だと慕う人に向ける気持ちに似ていると思う。
それでいて「先生」の厭世家で人間嫌いな所や、行動に至るまでに思考の迷宮に迷い込んでしまうところなどは、僕にもある心理だと捉えている。
以前このブログでは『坊ちゃん』について書いた。
あちらは軽妙洒脱にして小気味の良い闊達な文章であって、坊ちゃんの快刀乱麻を断つような活躍を描いた大衆小説であると言えよう。
果たしてこちらの「こゝろ」はどうか。
僕はこの小説について、厭世と浮世への諦観に満ちた陰鬱な文章だと感じた。
僕はですね、こういうのが好きなんですよ!!!
思わず膝を打った表現があったので幾つか備忘録的にここに書いておく。
あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね。
旅先で「先生」をストーキングし、東京まで追いかけて行って家にまで押しかけた「私」が、そのまま雑司ヶ谷霊園で由来不明の墓に参る「先生」を探して遂に追いつき、墓参りに同道しようとする場面において。
言うまでもなく、「先生」は死について常日頃から死について考えるだけではなく、自分の周りに襲いかかる死の恐怖に晒されながら生きてきた。
「私」より、「先生」は死に対して親身で距離が近いことを匂わせる。
なおかつ、「私」が死の恐怖に煽られておらず、「先生」との対比も描いている。
ミステリアスで影のある中年の男って、いいよね!
あなたは外の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります。
「私」は若い学生なので、この先の無限の可能性のうち、「先生」は「私」の気持ちが自分から離れていくことを予感している。そしてそれを恐れている。
「折々お宅へ伺ってもよござんすか」と「私」は「先生」に言い、「先生」はそれを承諾した。
「私」は学校の友人たちと関わるよりも常に「先生」と関わり、「先生」の人生観から教訓を得て成長していく。
ここ、ここね、ここ、あの、エモいよね。エヘへ。
慕われることの嬉しさが大きい反面、いつか自分のもとを離れて行ってしまうのではないかという恐怖があるんですね。
それは持たざる者は決して知ることのない恐怖なんだ。
あ、あ、愛を受けるものにしか得られぬ苦しみなのだ。ウッウウッ。
私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。
おい!こんなん!こんなんな!!!
何を見せてくれとんのじゃ!
「先生」は細君にも自分の悩みを打ち明けられない事情があって、行き場のない苦しみを理解してくれる相手を欲しがっている。
だがその望みは、「先生」の人を寄せつけない厭世的な哲学と相反するものだ。
これまで「先生」は人生の上で、裏切りや不義に翻弄され、自分さえもその恐ろしい手段の使い手となった。
だから「先生」はその恐ろしさを知っている。だから「私」から純粋な尊敬の眼差しを向けられることにさえ、疑いの目で見てしまう。
「先生」は自分を苦しめている不義の記憶から解放されたいのだ。
僕も過去、手酷い裏切りを受けたことがある。
あの時はマジで全員あの世に送るしかないと思った。
なぜなら、そうした恐ろしい裏切りにあった後、世界が全く違って見えるからだ。
誰も彼もが信用出来なくなって、皆が自分を貶めようとしていると感じる。
人と関わる度にそうした疑心暗鬼に襲われて、狂いそうになる。
自分の周りに人がいなくなることでしか、安心が得られないとすら感じることもある。
僕についてはその心の安息が得られぬ苦しみを和らげてくれた伴侶や友人がいたので人類を鏖殺せずに済みましたが……。
「先生」がなぜこの悩みを細君に打ち明けなかったのか、作中でも語られるわけだがその気持ちは非常によくわかる。
いたく愛している細君に、自分の醜い場所を見られたくないのだ。自分を愛してくれている細君に、ほんの少しでも失望されたくないのだ。
卑劣な裏切りをしてまで一緒になった伴侶に、今更自分が権謀術数を巡らせて人を陥れ、君を娶った人でなしのクズだなどと言えるだろうか。
「先生」は言えなかったのだ。
「先生」は「私」との触れ合いによって、凍てついた心を溶かしていった。
この「あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか」には、「先生」が「私」にまるで縋るようにして自分のことを理解してくれと、永遠の地獄めいた苦しみから解放してくれるひとになってほしいという思いが詰まっている。
この言葉を言えるようになるまでに、確かに「先生」は変わってきている――救われつつある――のだ。
もうこんなんホモですよ!!
あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。(中略)
私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴せかけようとしているのです。私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。
「先生」が手紙で自分の過去を「私」に打ち明けることを決意した理由を伝える段において。
ちょっとこの文章は僕には書けないですね……。
ここまで読み進めて「先生」の心に巣くう病煩を下地にして、死の誘惑を前にした「先生」の決意をここまで官能的に書いたところに、僕は最上級の敬意を示します。
この文章に出会えただけで、僕は読み返してよかったと思いました。
ツイッターとかで「心臓」、「血」、「命」を使って文章を作れば性癖が判る!とかいう香ばしいことやってる人たち、必読です。
このえっちさをお手本にしろ。えっちじゃなきゃ文学じゃねえんだ。文学で人を殺せ。
最後に。
私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目見たかったのです。
「先生」のKに対する感情があふれていてとてもよい。
僕だって自分の信頼している友人が、自分の所為で死んだらそーする。
しかし両手で持ち上げるところにただならぬ慈しみを感じる。
そこがまたよい。
これは一定数いると言われている『こゝろ』ガチ勢の気持ちが判るな……。
浮世の苦しみは生を憂うのに十分すぎる理由だが、直視しすぎると「先生」みたいになってしまう。
虚無主義は僕たちの人生を「クソでも仕方ない」と思わせてくれるが、傾倒しすぎると死の誘惑に抗えなくなる。
だが、行き着くところにまで行ってしまい、死を選ぶなんていうのは虚無主義の中でも下等な虚無主義であると私は考えている。
「私」が「先生」から虚無主義を学んだあと、進むべきでない道へ足を踏み入れないことを願うばかりである。
FF10 夢の終わり
「おせえぞ、アーロン」
ジェクトはかつての親友に言う。
「……すまん」
荒廃したブリッツボール競技場跡地。
そこでジェクトはずっとアーロンを、そして息子を待っていた。
十年という時間は、『シン』となったジェクトにとっても、死人となったアーロンに対しても長すぎた。
まだ青さの残る青年だったアーロンは今や中年で、ジェクトよりも老けてすら見える。
そして、ついに親子は対面する。
しかしこの親子は、十年前からお互いへの接し方が判らないままだ。
「よお」
「ああ」
ここのぬか八くんの声が既に涙ぐんでいるのが、こちらの涙を誘う。
「背ばっか伸びて ヒョロヒョロじゃねえか!ちゃんとメシ食ってんのか?」
ジェクトはまた子供に対して素直になれず、悪態を付いてしまう。十年ぶりにあった息子に対して、言いたくもない嫌味を言ったあと、
「でかくなったな……」
と言うのが、彼にとっての精一杯だった。
「まだあんたの方がデカイ」
「なんつってもオレは『シン』だからな!」
「笑えないっつーの」
ついに逢えた二人には、もっと話すことがあるはずなのに。
話が出来る時間すらもうあまりないことも、お互いに判っているはずなのに。
この二人はついにお互いを愛していることを言葉で伝えることが出来なかった。
「じゃあ、まあ、なんだ、その……ケリつけっか!どうすりゃいいかわかってんな?」
父親の決意に対して、ぬか八くんは力強く答える。
「ああ!」
「もう歌もあんまし聞こえねえんだ。もうちょっとでオレは心の底から『シン』になっちまう。間に合って助かったぜ。
はじまったらオレは壊れちまう。手加減とかできねえからよ!……すまねえな」
ぬか八くんは聞きたくないとばかりに、父親の言葉を遮る。
「もういいって!うだうだ言ってないでさあ!」
「だな。じゃあ、いっちょやるか!!」
ジェクトはふらふらと背後の崖へと後ずさる。
ぬか八くんは堪らず、泣きながら追いかける。彼の手は父親に届かず、ジェクトは崖下へと消えた。
地面が大きく揺れ、姿を表したのはジェクトが召喚獣となった姿、「ブラスカの究極召喚」だ。
変わり果てたジェクトの姿を認めると、ぬか八くんは刀を抜く。
「すぐに終わらせてやるからな!さっさとやられろよ!」
僕はこのシーン、大好きです。
全ての親が子供に対して理想的な親になれるわけではなく、それは子供も同様だ。
ぬか八くんの複雑な、自分でその正体を掴みきれていない感情は今ここに至って涙となって彼から溢れ出てきた。
もしかしたら、ジェクトはそれだけで報われたかもしれない。
ここで流れるのが「Other World」。
これいいよねーーーーー!!
イントロと共に「ブラスカの究極召喚」の腕が現れるの、すごく、カッコイイ……(語彙消失)
一連のFF10の日記にも書いたけど、この曲は主人公が父を超えるための曲なんだよな。
ジェクトからぬか八くんに語りかけるかのような歌詞で、戦え!戦え!戦え!とがなるガテラルが強くぬか八くんを奮起させている。
父親からの愛情をそこには感じるし、希望を託す思いも聴き取れる。
メロディアスなギターソロには哀愁を感じる。
この曲、すごくいい曲ですよ。
しょくん。聴きたまえ。
ジェクト――「ブラスカの究極召喚」は単体ではなく、左右にジュ=パゴダというモノリスを連れて出現する。
このパゴダは初期HPは5,000だが、倒しても一定ターン後には復活する。
そしてその時、これまでに与えた累計ダメージ数までHPが回復する。
パゴダが二体いる時は「ブラスカの究極召喚」のHPを回復させ、デバフをリセットする「パワーウェーブ」を使用し、一体だけになるとこちらのMPを全て吸収してくるアスピラか、状態異常攻撃をしてくる。
攻略法はパゴダの回復量以上に「ブラスカの究極召喚」にダメージを与え続ける、つまり無視する形か、あるいはこまめに二体まとめて始末するのがいいだろう。
回復が頻繁でうざいならスロウでも掛けとけばよい。別に頑張って倒す必要はない。
一方で「ブラスカの究極召喚」は中々強敵だといえる。
前述のパゴダのせいで実際の数値よりタフだし、第二形態まである。
そしてオーバードライブゲージがあり、溜まるとオーバードライブ技を放ってくる。
第一形態のジェクトフィンガーは大したことないが、第二形態の真ジェクトシュートはけっこう痛い。
あと通常攻撃のジェクトビームが案外恐ろしく、無策で食らうと石化してしまう。その状態でダメージを貰うと砕け散ってしまい、二度と戦線に復帰できない。
パーティメンバーが一人減ると当然ダメージソースも回復役もいなくなる。これだけは避けたい。
また、「ブラスカの究極召喚」のオーバードライブゲージについては、進みを遅くさせることが出来る。
この戦闘飲みぬか八くんにトリガーコマンドが追加され、「ブラスカの究極召喚」に話しかける事が出来るのだ。
ぬか八くんは涙ながらに、「絶対負けねえ!」
「もうあんたには負けねえ!!」と語りかける。
それだけで「ブラスカの究極召喚」は動揺し、オーバードライブゲージをリセットしつつ「ブラスカの究極召喚」の攻撃力も下げることができる。
但しそれも二回まで。
三回目は「もう声は届かない」とだけ表示され、何の意味もない。
今の今まで正気という名の薄氷の上を歩んできたジェクトは、ついにそれを踏み抜いてしまった。一度狂気の側に落ちてしまえば、もう戻ることなど出来ない。
僕はこの戦闘、あんまり育てすぎて挑みたくないんだよな。
是非とも真ジェクトシュートを辛くも耐えて、ぬか八くんのエースオブザブリッツでとどめを刺してあげてほしい。
ガードとしても、ブリッツの選手としても父を超えたことを示すのだ。
「ブラスカの究極召喚」を倒すと、彼はもとの姿に戻る。
もはや立つことも叶わず、そこに倒れようとする。
そこに走り寄り、やさしく抱きかかえるぬか八!
ここのジェクトの、
「泣くぞ。すぐ泣くぞ。絶対泣くぞ。ほら、泣くぞ……」はぬか八の記憶の中の同じセリフと比べて、非常に穏やかで、暖かで、子を思う父の心が伝わってくる。
涙をこぼすぬか八。
泣くのはまだ早いとたしなめるジェクト。そしてぬか八はすべてを終わらせることを父に伝える。
「初めて……思った。あんたの息子で……よかった」
それが言えただけで君の物語は素晴らしいものになったと僕は思うよ。
ジェクトの体から抜け落ちた寄生虫ことエボン=ジュは行き場をなくしてその辺をさまよう。
ジェクトは最後にユウナに向かって叫ぶ。
「俺たちを!」
そこにいつも助けてくれるショタの声がリフレイン。
「僕たちを!」
「喚ぶんだぞ!」
「喚ぶんだよ!」
以下、怒涛の消化試合がはじまる――!
ところでパゴダってなんだよって思いませんでした?
幼かりしころの僕は思った!
これね、ストゥーパのことです。
ストゥーパってなんだよって思った?
サンサーラナーガをやるとよい。
さて、ここからはオカルトの時間だ……。
ストゥーパの話をするには、仏教の話をせねばなるまい。
ゴータマ・シッダルタこと、釈迦は優れた哲学者だった。
彼が死んで荼毘に付されたあと、信者たちが釈迦の骨を欲しがった。
何故欲しがったのか?
実は釈迦入滅以前から、釈迦には呪的力能があると信じられていた。
有名なところだと、悟るために禅定し続けてたら死と煩悩を司る悪魔、マーラが出てきて「えっちなことって、いいと思いませんか?」と語りかけてきたところを退けたり(魔王調伏できる釈迦スゲー!)、悟ったあとも禅定してたら梵天が出てきて釈迦のことをリスペクトしてきて教えを広めるように言って来たり(バラモン教の最高神ブラフマーに尊敬されるなんてスゲー!)と、釈迦には魔王も梵天も及ばないほどの超呪力があるとみなされてきたのだ。
これらの伝説は説話により広まっており、釈迦の説法による教義の伝道の際に釈迦の権威付けとして創作された可能性が非常に高い。
出典を求めれば、『スッタニパータ』や『本生経』などでも釈迦の呪力について言及がなされている。
そんなわけで釈迦はスゲーので、当然釈迦の遺骸にもご利益あるだろという思考になる。
入滅した釈迦を荼毘に付したのはマッラ族という部族である。彼らは祭祀を行っていたが、釈迦のパトロンの一人であり、暴君であり、征服王でもあったアジャータシャトルは、
「俺にも祭祀させろや?仏舎利をもらう権利が俺にもあんだろが?」とマッラ族を威圧。
戦争で儲かるし仏舎利ももらえるぜ!となった周辺諸国も軍隊を派遣。
生前あんだけ釈迦スゲーと言っていた各国の王たちも仏舎利欲しさにおっとり刀で戦争待ったなしの状態になったところ、急にバラモン僧が飛び出してきて「ダサいからやめろ!仏舎利はみんなで平等に分けよう!」と提案。
「お、それいいじゃん賛成!」となり、みんなで仲良く仏舎利を分けてそれを埋めたとこにストゥーパ(仏塔)を建設。インドは平和だ。
ちょっと割を喰って炭とか仏舎利を計量した瓶しかもらえなかった人もあったらしいが本筋には関係ない。
つまるところ、仏舎利には超スゲーパワーがあると信じられていた。
軍隊の出勤には結構すごい金が必要なので、各国もそれを押してでも仏舎利を手に入れたいと願ったわけである。
仏舎利には現世利益をもたらす力があると、マジで信じている奴らがいたのである。
つまりそれを祀っているストゥーパも超スゲーパワーがあると信じられているのである!!!
このストゥーパ、めちゃくちゃブームになった。
最初は十基だったのがインド国内で建てられまくり、八万四千基にまで増えた。骨が足りないので石を埋めたりもする。インドで流行るということはミャンマー、タイ、パキスタン、東南アジアや中国にも伝播する。中国に輸入されたということは当然日本にも輸入される!!
諸君たちも見たことがあるだろう。通販サイトで日本語があやしいレビューがたくさんついた、★5評価のあやしいあやしいストゥーパを……。
いやもっと違うところで見ているはずだ。
ストゥーパは中国に入った時、音訳されて卒塔婆という字が当てられた。
そして塔という字が高さのある建造物を指す言葉となり、日本に輸入されてからは木造建築に形を変えた。
法隆寺、清水寺、東寺なんかにある木造建築の塔、あれ全部ストゥーパ!
そして日本人の習性として、なんかちっちゃくするのが好きなので多宝塔とか五輪塔とか石墓とかになる。
そして日本人は更にストゥーパをペラくしてしまう!
板塔婆の誕生だ!!!
原型は12世紀の『餓鬼草子』なんかにも見られる。
とにかくストゥーパは形や名前を変えても、その属性は変えていない。
死者を祀る建造物で、スゲーパワーを持つと信じられている。
なぜここまで紙幅を割いてストゥーパについて述べたかと言うと、ストゥーパについて知った皆さま方には当然一つの疑問が浮かんできていると確信しているからだ。
ジュ=パゴダは誰が何のために建造したの?
ユウナはすべての召喚獣を呼び出し、その全てにエボン=ジュを乗り移らせていった。
最後に行き場をなくしたエボン=ジュは、所在なさげに浮遊している。
「みんな、一緒に戦えるのはこれが最後だ。よろしく!!」
とぬか八。
「エボン=ジュを倒したら、俺、消えっから!勝手で悪いけどさ、これが俺の物語だ!」
エボン=ジュの攻略については、特に言うことがない。
リレイズが掛かってるので、死のうと思っても死ねない。
でもここでリレイズが掛かってるのってちょっと恐ろしくもあるよね。
死ねないということは終わらないということで、ある種の無限の螺旋に囚われた世界の中にいるともいえる。
エボン=ジュ自体は雑魚だからすぐ死ぬんだけどな!!
エボン=ジュを倒すと、それまで常にエボン=ジュのそばに付き従っていたジュ=パゴダが変形合体し、エボン=ジュをかなり強い勢いでバーン!勢い付けて占める冷蔵庫みたい!
ジュ=パゴダは柩型になり、エボン=ジュを封印。そしてきらめきながら消えていき、やがて無になる。
やっぱおかしくないですか?
順当に考えれば、これまでジェクトを回復し続けてきたジュ=パゴダはエボン教やユウナレスカがエボン=ジュを存続させるために建造した宗教的建造物と見ることが出来る。
でもエボン=ジュを倒したあと、エボン=ジュを封印するのは、ジュ=パゴダを建造した人物の意図が一切見えない。
もしかしたらあれは封印ではなく、保存だったのかもしれないなと僕は思う。
本来のパゴダ=ストゥーパの意味合いを考えれば、死者を祀る宗教的建造物のはずなので、究極召喚やエボン=ジュを存続させるための装置としてはパゴダとは言えない。むしろそれはパゴダとまったく逆のもので、言うなれば死骸になった釈迦を無理やり生き返らせるような、エボン教じみた邪悪な装置だ。
あれはいったいどういう意図で、誰が作ったものなのだろう。
エボン=ジュの存続が目的だったのか?
それともエボン=ジュの封印が目的だったのか?
もし後者だったのだとしたら、エボン教の首魁でもなく、ユウナレスカでもない第三者が存在して、エボン=ジュを封印するためにエボン=ジュに肉薄したことがあるということになるのではないか。
ユウナが召喚獣たちを異界送りしていると、アーロンの体も消え始める。
アーロンはそのまま異界送りを続けさせ、ついに死を受け入れる。
彼も親友からの約束を守って、もうやることがないからね。
そういうすべてをやり切って、これ以上何もないときに死ねるってすごく幸せなことだと思うよ。
ぬか八の体も透け始める。
「俺、帰らなくちゃ。ザナルカンド案内出来なくてごめんな!」
ぬか八、走りだす。
ユウナはそれを追って抱きとめようとするが、ぬか八の体は既にスッケスケになってしまっており、スカってしまう。
ぬか八は消えつつある腕で、ユウナを抱きしめる。
そのままぬか八はユウナの体を通り抜け、空へ飛び込む。
ブラスカ、アーロンの姿が浮かび、最後にジェクトが現れ、空中でハイタッチ。
そして召喚士のいなくなった夢見のザナルカンドは夢幻のごとく、消えていった。無数のザナルカンドの人たちも、祈り子だちも、ほんの小さなしずくの中に映る、ぬか八の姿も。
数日後、ルカの町でユウナは演説をしている。
『シン』を倒し、『シン』はもう復活しないことを伝える。
そして最後に、
「ひとつだけ、お願いがあります。いなくなってしまった人たちのこと、時々でいいあから……思い出してください」
ここでエンドロールです。
エンディングテーマ、「素敵だね」ですが……。
サビの部分の歌詞あるじゃないですか。
素敵だね 二人手を取り歩けたなら
行きたいよ 君の 町 家 腕の中
手も取れねえし、町にも家にも腕の中にもいけねえんだよなあ……100点!!!(ピポーン!!!)
FF10 シーモアと愉快な観覧車
前回の末文にすべてがあるべきところにどうちゃらとか書いたけど、この記事の文字数が知らんうちに5,000を超えてたからすべてがあるべきところに帰るのは次回にするって「すべて」さんサイドから通達がありました。そのため、諸般の事情を鑑みてすべてがあるべきところに帰るのは次回になりました。
この度は予定が本来のスケジュールよりも後ろ倒しになってしまい、皆様に多大な迷惑をおかけしてしまいましたことを心よりお詫び申し上げます。
今後とも変わらぬご愛顧を何卒よろしくお願い申し上げます。
『シン』、ついにベベルに墜つ!
一行は最後の戦いに赴くため、また飛空挺の甲板に立つ。
このころには徐々にリュックのアニキが共通語喋れる様になってきてて胸アツですね。
今ここに両腕ぽろりした『シン』と、ついに最後の決戦に至る!
いざ、殺してしんぜようぞ!
こうして見ると『シン』の頭部は国芳の寄せ絵のような、かつガンダーラ美術めいた多数の襞の蠢きは仏教美術のニュアンスもある。
ここの所を掘り下げると面白いのかもしれない。
『シン』頭部との戦いですが、ほっとくとオーバードライブゲージが溜まって行って重力技を使われて死にます。タイムリミットは12ターン。
『シン』頭部のHPは140,000なので、『シン』に一回ターンが回るごとに11,667ダメージを与えればよいということになる。
なーんだ、案外余裕ですね?
ルールーの連続魔でゴリゴリ削りながら、たまにワッカでたまたま投げつけてればよい。
なお、『シン』と綱引きして三回オーエスするまでは近接攻撃が当たらないので、ぬか八くんはヘイスガとはげますを使い、サポートに回ろう。
あと敵が石化睨みと混乱睨みをしてくるので、防具で対策しておけばよい。
もしかして討伐隊って烏合の衆というか、低火力雑魚ギルドだったのでは??
魔法使いを沢山募兵してオオアカ屋で売ってるぬいぐるみ(ダメージブースト、MP半減)を支給してみんなで囲んで宗教してたら召喚獣とかいらねーのでは???
『シン』に近づくと毒気でやばくて、重力魔法でハンバーグにされるってのは判るけど、この方法ならエボン=ジュの外側の『シン』を倒せちゃうのでは???
そうはならなかったのがエボン教の邪悪なとこなんだよな。
何故ならその方法を採ったとしたら、「はてなくさかえ」ることは出来ないわけだ。
だからあの手この手を使って、『シン』を倒すことが出来るのは召喚士と究極召喚だけだという情報操作を行ってきたのだろう。
くわえて、『シン』は自分を滅ぼすことが出来る文明を察知する能力を持っていて、その文明を破壊しにいくらしい。
(つまり召喚士以外でも『シン』を倒せてしまうということを『シン』は行動で示してしまってないか?)
次に命を落とすかもしれなかったのは、オオアカ屋だったということですね。
『シン』に殺されなかったとしても、この感じではマイカ総老師とか事情を知る教団幹部とかに暗殺されてても不思議ではない。
彼はオーバーテクノロジーを扱うだけでなく、市場に流通させてしまった……。
これは経済を利用した神秘殺しであると言えよう。
いついかなる時も、神秘を破壊せしめるのは人間の生み出した技術と未知への探究心なのだ。
そういう意味では神秘を愛するものはみな、須らくして神秘を殺してしまう。
可愛がりすぎて殺してしまうって、素敵だと思いませんか?
話がずれてきましたね?
そんなわけで『シン』頭部をぶっ飛ばし、あいた穴から中に入れるようになりました。
なんて力技だろうね。毒気はどうした?
『シン』の体内はヘドロめいた体液で満たされている。
ところどころ流れる体液の奔流で通行困難な箇所があったり、一方通行な場所もあったりするが、別段難しいギミックのあるダンジョンというわけではない。
だが、雑魚敵がうっとおしいのでエンカウントなしをつけててもいいと思う。
どうせここに来るまでに相当レベル上げてるでしょ?ラスボスに勝てなかった時だけレベルあげようね。
なげきの園とかいう場所で(誰が名前つけてんだ)シーモアと再会。
いわく、シーモアは『シン』に吸収されたらしい。
だが、ただ吸収されただけではなく、そのうち『シン』を内側から乗っ取る計画らしい。
彼の本来の計画では、彼が『シン』になってスピラ中に死をばら撒くはずだったけど、究極召喚が失われたことでそれも叶わなくなってしまった。
というわけで今んとこシーモアは『シン』の悪性腫瘍というか、口内炎というか、そういう存在になっている。
なおも『シン』を破壊し、止めようとする一行に対し、シーモアは自分が『シン』となるために、『シン』を守るという。
そういうわけでシーモアと最終決戦ということに相成りました。
シーモアバトルいい曲ですよね。
スネアの使い方がかっこいい。
ここのシーモア、ちょっとカラフルな観覧車みたいなのを背中に背負って登場する。
この観覧車の色の組み合わせによって敵が使ってくる四連続魔魔法がすげえ痛かったり多少痛かったり誤差だったりする。
ガ系魔法を無防備な状態のとこに四連発されたら痛いでは済まないので、対処しておきましょう。
ここまで白魔法のバファイ、バコルド、バサンダ、バウォタを使うシーンありましたか?ここが最初で最後の見せ場だぜ!!!
注意するべきことは観覧車の色を制御することと、六回シーモアにパチキを入れるとデスペルでこっちのバフを消してからアルテマをぶちかましてくること。
と、まるで恐ろしい敵かのように書いたが……。
ところでこのシーモア最終異体、めちゃくちゃ弱い。
どこかしらで「勝負師の魂」というアイテムを手に入れてきておいて、シーモアから盗める「光の魔石」をリュックの「調合」で混ぜてしまえば、「カルテット99」なるアイテムに変化する。
これはダメージと回復数値を全部9,999にするというアイテムで、つまるところシーモアを8回殴れば死ぬ。
ユウナで「いのる」をすれば全員9,999回復する。
モアシー(業界用語)を撃破すると、一瞬ぐったりするので、そこですかさずワッカが「いまだ!異界に送っちまえ!」という。
こいつ!ちょっと前までエボン命だった癖に!
「私を消すのはやはりあなたか……」などとしんみりしながらも消えていくシーモア。
私を消しても、スピラの悲しみは消えはしないとシーモアは言う。
彼の行動には一貫性があった。自分が『シン』になって何もかも破壊し尽くし、スピラから悲しみを取り除くという目的を如何にして成すかという問題に、常に立ち向かってきた。
彼は常に自分の目標に対して執るべき手段を全て執って自分の目標に近づいていった。その目的意識と、人心掌握術を持って彼にはエボン教の真の支配者になってほしかった。
おそらく過去の形を踏襲し続けて、腐敗に満ちたエボン教に先細りさせていったユウナレスカよりは指導力のある宗教者になれただろう。
スピラから悲しみを取り除くという大きな目標のためにぬか八くんたちと協力しあえていれば、違う形で世界に平和が訪れていたのかもしれない。
接吻さえしなければ決定的な決裂にはならなかったのに……(そうか?)
少年時代の僕はぬか八くんにいまいち感情移入出来なかったので、目の前でユウナの唇を奪われた時も大して気持ちが動かなかったし、成長してプレイしたときもいまいちユウナのことがピンと来なかった(性癖的な意味で)ため、むしろシーモアに対する憐憫の情のようなものを一貫して感じている。
彼可哀想だよね。
幼くして親子共々父親に捨てられ、召喚士としての才能を開花させて究極召喚を手に入れたのに、その代償として唯一自分を愛してくれたお母さんを失ってしまう。
これが弱冠十歳の時。
その時に究極召喚と『シン』の秘密を知り、『シン』になることを決意する……。
母を失ったあと、八年間たった一人で無人島で暮らしているんですよ。
そんなん誰だって狂うと思う。狂えた方が彼にとっては幸せだったのかも。
しかし彼の意志の力は今日まで目標に向かって自分の体にひた走り続けることを命じ続けた!
彼にはどこかで報われて欲しかったという気持ちが……
何言うとんねんこんな可哀想なキャラ僕が酒の肴にしないわけないだろ。
ちなみにシーモアのおかんを召喚獣として連れていくと、シーモアは「全てが私を拒むか……それもよかろう」と嘆息する。
自分を唯一愛してくれた実母でさえ、自分を殺すために立ちはだかっている。
いやあ、報われないっていいですね!
さて、シーモアを無事あの世へ送ってあげたところで一行は更に『シン』の体内の奥へと足を進める。
そこには、今までのヘドロにまみれた世界とは別の光景が広がっていた。
ザナルカンド。
千年前に滅んだ機械都市と寸分たがわぬ街並み、死せる夢の都が目の前に広がる。
ハーここが夢見のザナルカンドですかという感じになる。
最終的にたどり着いた趣味の悪い塔に入っていく。
はい、塔ね……。
塔ですか……。
次回は塔の話をすることになるだろう。
言い忘れてたけどこの塔に入ったら後戻りできないから、ここまでに何もかも終わらせとくとよい。
召喚獣は全部仲間にしましたか?七曜武器は全部取りましたか?ブリッツボールでキッパのレベルを100にしましたか?
別にどれもしなくても大丈夫だよ。キッパのレベルは上げたほうがいいかもしれない。
私は、上げていませんが……。
この塔の中、「悪夢の中心」という名前がついているのだが、まさに悪夢みたいなカメラワークの中光るたまたまを10個あつめなければいけない。これがもう、まことにやばいゲームシステムとなっている。
最終局面でこのとんでもないゲームをぶっこんでくる発送、スクウェアにドSが居たことは間違いない。
誰だよカメラを無限にぐるぐるさせようぜ!!って企画したやつは。
光の柱が下から無限に生えて来て、それに当たったらやり直しになるので常に動き続ける必要がある。
酒飲みながらプレイしたら絶対にクリアできないと思う。
はれて光るたまたまを10個手に入れたらついに最終決戦の舞台へ……。
次回、やっとすべてがあるべきところに帰る!
今日は攻略本の話をします。
攻略本ってあるじゃないですか。
僕大好きなんだよね。
ただ昨今は攻略情報を得ようと思えば、インターネットの海で無限に拾えるわけで、攻略を目的に攻略本を買う利点は正直薄い。
これは20年前から言われていることだ。
コレクション目的とか、攻略情報に確たるエビデンスが欲しい!!みたいな人にはいいのかもしれない。
では攻略本の意義とは何なのか。同好の志である人たちには今更言うまでもないのだが、僕は「読み物としての面白さ」だと思っている。
スクウェアはスタジオベントスタッフなる攻略本作成会社を持っていて、ここが出している攻略本で隠れない名シリーズが『アルティマニア』だ。
詳しい説明は省く。どういう攻略本かというと、京極夏彦の文庫みたいに分厚く、旬のキャベツよりも身が詰まっている。
ちょっと変な例えになってしまった。
FF10の『アルティマニア』は3冊出ている。ストーリーの『アルティマニア』、バトルの『アルティマニア』、そして『アルティマニア・オメガ』。
ゲームをクリアするために用いる攻略本は、ストーリーの『アルティマニア』だけでいい。
バトルの『アルティマニア』には詳細な敵のステータスや、ダメージ計算式、システムデータなど完全にやり込みユーザーのための攻略本となっている。
『アルティマニアオメガ』には、そのどちらにも書かれなかった情報が掲載される。
この『アルティマニアオメガ』は、攻略にはほとんど役に立たない。
ストーリー考察が載っていたり、分岐条件や分岐後のストーリーが紹介されてたり、製作者インタビューがあったり、天野喜孝氏の画集が載っていたりという内容で、いわゆるところのファンブック的な書物なのだ。
そ……それだよ!読者(僕)が求めているものは!(画像略)
情報の密度とか、プレイするだけでは得られない設定の妙だとか、プレイする我々が「こうなのでは?」と考える妄想についてのアンサーになりうる裏話だとかが得られることは、読み物が持つ本来の娯楽としての側面を、ややもすると攻略に終始しがちな(大丈夫!どこかの出版社が出している攻略本をディスっているわけではありませんよ)攻略本というものに逆輸入したものであるとも言える。
ゲームというものを楽しむためには、その世界に没入することが非常に重要だと思っている。
こういった種類の攻略本は、世界に没入する助けになるだろうし、既に没入しきった人々のサプリメントとなるだろう。
このゲーム面白いぜ!となってのめり込むなら、とことんまでのめり込んだ方が有意義だと僕は思う。
そしてこの類のファナティックな攻略本を作っている人たちもまた、同じような気持ちだろう。
究極のマニアという書名にも、頭が下がる思いがする。
FF10 とれとれチョコボだけは二度とやらねえからな!!!
一行がエボンドームから出ると、『シン』が待ち受けている。
この時のジェクトはどんな気持ちでぬか八たちがドームから出てくるのを待っていたんだろう。
息子も自分と同じように究極召喚となって自分を討伐し、新たな『シン』になるかもしれないことに対する恐怖もあるだろう。無限に続く苦しみに、ジェクトとして辛うじて形を保っているか細い生命の灯火に、他ならないぬか八の手で終止符を打ってもらいたい気持ちがないと言いきれるだろうか?
だが、『シン』を倒す方法である究極召喚は既に失われた。
ぬか八はなお、「なんとかするから待っててくれよな」と『シン』に語りかける。
『シン』、ジェクトは安堵したように見えた。踵を返して何処かへと消えていく。
究極召喚なしで『シン』を倒す方法について、一行は頭を悩ませる。
エボン教の教えの中では、『シン』を倒す方法は究極召喚しかない。
それ以外の方法について知るために、現在のエボン教の総主教、マイカ総老師をボコってゲロらせることにした。
死に体(ダブルミーニング)のエボン教に無慈悲な追い討ちをかけようぜ!というキマリ。
壮絶なBSSを経てキマリは修羅となったのだ。
飛空艇ではワッカとリュックが「すげえこと思いついたぜ!」「わたしが思いついたんだよ!」と騒いでいる。
仲良くなれてよかったね。
いわく、『シン』は祈りの歌を聴いているときはおとなしいとのこと。
かつてマカラーニャ寺院の底で『シン』が祈りの歌を聴きながら微睡んでいたことを思い出してのことであった。
おい、大丈夫か?論証足りてるか?
かなりザルガバな論拠のような気もするが、そうというならそうなんだろう……。
それはそれとしてマイカ総老師がゲロるまで体にインタビューしに行くことになった。
飛空挺でベベル宮に突入すると、僧兵(バトルボンズ)たちが重火器を引っさげて一行に突っかかってくる。
そこに颯爽と現れたのはいつぞやも話したことのあるシェリンダとかいうぽっちゃりさん。
今はベベルで門兵の監督官をしてるらしい。
ペーペーを形だけの管理職にしていくの、やばい企業にありがちだよね。
曰く、ユウナはシーモアのこと殺したし裁判所でエボン教をディスったのでエボン側はユウナのことを反逆者にしてたのだが、今は「ユウナが反逆者っていうのはアルベド族が流したデマだよ!」って吹聴してるらしい。
ま、マッチポンプ!!
こういう時に敵対勢力がいると便利に使えていいよね。
当然この流れにリュックはブチ切れ。
だが、この段階ではもうエボン教は外聞を気にしてる場合ではないし、靴舐めてでもユウナになんとかしてもらうしかないのよね。
シェリンダに約束を取り付けてもらい、マイカ総老師と会うことに。
この新米、割と凄いぞ。
結論から言うと、マイカ総老師からは大した情報は聞き出せなかった。
究極召喚が永遠に失われた今、エボン=ジュが作り上げた死の螺旋にただ落ちゆくだけ。
わしはスピラの終焉を見とうない……とか言って瞬きしてる間に成仏していかはった。
お前いつでも成仏できるんかい。
しかしこれでエボン教の真の支配者であるユウナレスカも死に、現世でエボン教を束ねているマイカ総老師も成仏した。ウェン=キノック老師はシーモアに殺され、ケルク老師はガガゼト山で引きこもりになっており、実質ユウナ派。
エボン教は既にガタガタで滅亡してるといってよいが、もしここから盛り返すルートがあるとしたら人間やめたシーモアがすげえ求心力で信徒を束ねて新たな救済の方法にシフトするか、ケルクが総老師になってエボン教ユウナ派を立ち上げて本来のエボン教とは全く違うものに変容していく以外ないだろう。
もっとも、シーモアの救済は人類鏖殺だからそのルートでは結局エボン教は滅亡するんだけど……。
前にも述べたが、後々のFFとかで召喚士にツノ付いてることから、この先どうなったかということが想像できますね。
マイカ総老師が成仏したことでやることなくなってしまった一行はぼーっとしてると部屋にいきなり半透明のショタが登場。
あっ いつも助けてくれる半透明のショタ!
いつもお世話になっております!!
結局半透明のショタこと、バハムートの祈り子が全部教えてくれることになった。
エボン=ジュはかつてザナルカンドの召喚士だったこと。
現在、過去を合わせても最高の召喚士で、今も尚夢見のザナルカンドの召喚を続けているということ。
エボン=ジュを倒せば、全てが終わる。
エボン=ジュも、エボン=ジュを守る『シン』も、夢見のザナルカンドも、その構成物の一つにしか過ぎないぬか八も、全て消えるのだ。
祈り子もぬか八も、努めてユウナに気付かれまいとしているが、そういうのに敏感サラリーマンだったユウナにはバレている。
隠し事はするだけ無駄なのさ……。
祈り子の間から出ると、ぽっちゃりさんのシェリンダが現れてマイカ総老師がどこにもいらっしゃらないんです……とのこと。
これ大丈夫かな?ユウナたちが殺したことになんない?
ここで一行はぽっちゃりさんに伝言を頼む。
『シン』が祈りの歌に弱いから、飛空挺から祈りの歌が流れたらスピラ中の人で歌ってくれ!とのこと。
原始的すぎない?
スピーカーでよくない??
これで『シン』を倒せるかもしれないんだ!
と言うと、シェリンダは
「ほんとですか!もう雨ふらないんですか!やったー!!!」
とはしゃぐ。
こいつ宗教者だもんな。どんなメルヘンな妄想でも自分が求めている妄想に近ければマジに受け取っちゃったりするよね。
こういう頭の悪い構成員が組織をダメにする。
ところでこの祈りの歌というのがまた邪悪なのだ。
寺院のみならず、いろんなとこで様々な人たちが歌っているので、おそらくはエボン教における聖歌のようなものであることが想像できる。
歌詞が以下の通りである。
いえゆい のぼめの
れんみり よじゅよご
はさてかなえ くたまえ
を繰り返すものなのだが、これをセンテンス事に改行し、古代インターネット文明で用いられたとされる古式ゆかしい暗号解読法、「縦読み」を使うことでこの聖歌の意味が見えてくる。
い え ゆ い
の ぼ め の
れ ん み り
よ じゅ よ ご
は さ
て か
な え
く た
ま
え
これはいわゆる賛美歌であるね。
エボン=ジュと祈り子がいつまでも夢見のザナルカンドの召喚を維持し、栄えることを賛美しているのだ。
この祈りの歌を、ぬか八が懐かしいと言っていたり、ジェクトも好きだと言っていたりする。
彼らはエボン=ジュと祈り子が生み出したザナルカンドの抜け毛みたいな存在だからね。
理屈はわかる。
一行はさあ『シン』とエボン=ジュを倒しにいくぞ!という気持ちになり、飛空挺に乗り込む。
ここでワッカが場都合の悪そうな顔で、シドに切り出す。
「今のうちにケジメつけときたいことがあってよ。俺、アルベド族のこと何にも知らねえで、話聞こうとも毛嫌いしてたんだ。だから、俺が悪かった!申し訳ありませんでした!!」
と詫びをいれる。
これに対してシドは、
「気にすんじゃねえ!!俺もエボンの民が大っ嫌いでよ。ただ、世の中にはいろんな奴がいる。いいやつもいれば、嫌な奴もいる。そんだけの話よ!!」
とこれを許す。
シド、カッコよすぎるな……これはみんなアルベド族も着いていくのが頷ける。
豪放磊落なようでいて、実はかなりの人格者だな?
僕だったらこんな詫び一つ入れたところで過去のことを帳消しにしたりはしないもん。
だが、シドがこういう人間だからこそアルベド族は気持ちのいいやつらが多いのかもしれない。
親和性の高い親子の性格は似てくるという研究があったような気がするが、シドはアルベド族みんなに慕われており、まるで父親のように皆に影響を与えている。
指導者の器とはこういうのを言うのだなあ。
一行は『シン』に向かって進軍。
ここでぬか八くんはみんなに作戦を伝える。
『シン』の中にエボン=ジュっていうのがいる。そいつを倒す!
なんたる単純さか!!
準備が整い、飛空挺が大爆音で祈りの歌を流し始めると、スピラ中から祈りの歌が聞こえてくる。
ここ、最終戦前に稼ぎとかサイドストーリーとかやってないとぽっちゃりさんがマッハでスピラ中を駆け回ったことになってちょっと笑える。
確かに『シン』は大人しくなったのだが、全然普通に動くしなんならモーセよろしく重力で海を割ったりする。全然オフェンシブじゃん。やっぱ論証足りてなかったじゃん!
強い重力で『シン』に引き寄せられ、一行は『シン』と白兵戦することに。
『シン』のひだりうで 『シン』のみぎうでと連戦になる。
攻略?特にないよ……。
「はなれる」コマンドで『シン』から離れれば通常攻撃しかしてこなくなる。
ただ、特性「かたい」を持つからアーマーブレイクを入れとくと話が早いかもしれない。
近づいたまま攻撃してるとグラビジャしてきてHP75%持っていかれるけど、即死攻撃ではないですからね。
ご丁寧にそろそろ打ってきますよメッセージもあるし、普段は殴ってヤバくなったら離れるという感じで余裕でいけます。
安全策を採るなら遠くからたまたまと魔法で削ればよろしい。
両腕を撃破するとシドが飛空艇の主砲で『シン』の両腕をぶっ飛ばしてくれる。
究極召喚いる????
これはエボン教も機械やめろっていうわけだよ。案外『シン』ってヘボいじゃん。
が、残念ながら超火力の主砲は二回撃ったら壊れてしまった。
ウルバン砲かな?
とにかく『シン』は両腕が落ちたので、一行は『シン』に乗り込もうとする。
ここで『シン』のコケラ=グナイと『シン(コア)』が登場。
まず『シン』のコケラ=グナイを倒しましょう。
HPが20,000しかない雑魚です。HPが半分になるとからにこもるを使って固くなるけど、アーマーブレイクすればただの豆腐です。
コアの方は全体魔法とかしてくるけど、いまどきサンダーやファイアではね……。
混乱にだけ気を付けてボコりましょう。
この辺のボスは、七曜武器とか持ってたらまず苦戦はしない。
とりあえずアルテマウエポンだけでもとって強化しておきましょう。
アルテマウエポンの話させてほしい。
まず七曜武器を手に入れるにはさ、どっかで七曜武器拾って、強化のためにㇾミアム寺院とかいう特に何の説明もない寺院に行きついて、そこでチョコボレースして、くもった鏡を手に入れる必要がある。ここまでで第一段階。
第二段階は七曜の印と聖印を集めないといけない。これは7つの武器に対して二つずつあるから、とにかく時間がかかる。
それらすべてにミニゲームが用意されてたりするのでコンテンツとしては充実しているのだが、中には幾つかクソ……もとい難易度の高いミニゲームがある。ルールーのタマネギ剣士ぬいぐるみを育てる雷避けと、ぬか八のアルテマウエポン(初期状態)貰うためのとれとれチョコボだ。
このとれとれチョコボ挑戦するためには、ふらふらチョコボとかいうまったく言うことを聞かないチョコボを調教しながらたまたまをかわしたりするイベントをクリアしないといけない。
百歩譲ってこれはまだいい。難しいけどクリアするのは試行錯誤でいけるから。
その次のとれとれチョコボ、このゲームを考えたやつはサディストだと思う!!!
このゲームの主旨は、チョコボ屋とレースをしながらタイムを競うというところにある。
しかし、その辺に浮いている風船をとればタイムからマイナスされるのだ。逆に飛んでるカモメに当たればタイムロスとなる。
この説明を受けて僕は思った。そうそうバードストライクなんかするもんじゃねえだろ……こっちは蛍光色だぞ?と。
実際やってみて判った。こいつら、自機狙い弾だ!!!!
チョコボ屋よりも風船をとりつつ、カモメもかわさないといけない。
両方やらなくちゃあならないっていうのがとれとれチョコボのつらいところなわけです。
そして、アルテマウエポン強化に必要なタイムは「0秒以下でゴール」。
日本語が、おかしい。
しかもこのチョコボ、操作性がクソ……もとい独特で、まっすぐ走らない。
それはもう、一升飲んだ時の僕くらいまっすぐ走らない。
僕はあまりに思い通りに走らない、すぐに壁にもたれようとするチョコボを見て、学生時代のじろーのことを思い出していた……。
こうしてると楽ーーーーーラグナロクーーーーーではないのだ。
黄昏てる場合ではないのだ。チョコボよ、頼むからまっすぐ走ってくれ。
そうして、数時間が過ぎた……。
これ、運っすわ!!!!いい感じに風船がならんで、偶然カモメが当たらないコースで、偶然チョコボ屋が風船を取りのがして、偶然チョコボがうまいこと思い通りに走るという数々の偶然が重なってようやくクリアできるゲームですわ!!!
僕とじろーはあまりにもこのゲームが攻略できないので、様々な攻略サイトを見たり、実家に置いてあるFF10アルティマニアを読み返したりした。
しかし、やり方は書いてあっても自分が小学生だった時から使っているヘタったコントローラで攻略する方法はどこにも書いていないのだ!!!
もしこの先、誰かがFF10を攻略するとき、とれとれチョコボに挑戦するときがあったとして、もし偶然このブログを見るものがあったならば、真理にして絶対の攻略法をここに記すゆえ、参考にされたし。
祈れ!!!!!!!!!
長くなったが、アルテマウエポンの話はこれで終わりです。
アルテマウエポンだか近鉄上本町だか知らねえけど手間かけさせやがってよ……。
そんなこんなでアルテマウエポンがあればボスが豆腐みたいに溶ける。
そして、コアをメタメタにされた『シン』はべベルに墜落する。
次回、すべてがあるべき場所へと帰る!
FF10 エボン教があぼーん
「なあ、もっと色々あったよな?あの時とかあの時とか、みんな、なんか無い?」
彼は時が過ぎるのを惜しむように、誰かが腰を上げるのを引き止めるように皆に問いかけるが、徒に時間を引き伸ばすことしか出来なかった。
そんなぬか八をユウナが遮る。
「思い出話は、もうおしまい!」
彼女がここまで歩んできたのは、死に至る道行きだ。
歩む度に彼女は死地へ赴く覚悟を固め、今最終幕の舞台袖にいる。彼女はこの幕で舞台花に立ち、華々しい大団円を迎えるのだ。
ぬか八の中途半端な覚悟は、ユウナの覚悟とは比較にならない。彼はユウナを止めることが出来ず、彼女に引き続いて他の者たちも武器を取った。
ここで流れるのが「いつか終わる夢」ですね!
この曲素晴らしいと思う。
素敵だねのアレンジは大体どれもいいんだけど、僕はビサイド島とこの曲がとても好きです。
ずっと聴いてたいですね。
戦闘中もずっと流れ続け、ファンファーレも流れない。それもあって凄く記憶に残ってる曲です。
一行はザナルカンドの中を進む。かつてハイウェイだった道を、ブリッツボールの会場だったドームを……。
エボン・ドームに差し掛かると、僧官の死人が現れ、ユウナをドーム内の、ユウナレスカのもとに導く。
はっきり言っておく、ここのBGMは最低!!!
「いつか終わる夢」が良すぎるばかりに、ここの
「ズンドコシャン!!!……シャンシャン ズンドコシャン!!!(以下無限ループ)」
が残念すぎて言葉もない。
ユウナがエボン教の秘儀にして最奥、全ての召喚士と悪夢の根源であるユウナレスカの元に挑もうとする時の緊張が、ブリッツボールの試合に挑もうとする選手と同じなわけないだろうがと思う。
エボン・ドーム内は幻光虫に満ちており、巨大なスフィアと同じものとも言える。
ここに残された強い記憶は、映像として残っている。
大召喚士ヨンクンのガード衆、かつてここを訪れたシーモアとその母、そして、ジェクト、ブラスカ、アーロン。
ジェクトはもうやめて帰ってもいいんだぞとブラスカに語りかけ、若かりしアーロンは半べそかきながら「あなたが死ぬのはいやだ……」と袖を引く。
はい、エモい〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
今はクッソ無愛想で若者に嫌味言ったり先輩風吹かしたり物知り顔で説教垂れたりするおっさんのわんこ的本性の奴な。
メシが美味くなるわい……。
エボン・ドームの試練を超え、ザナルカンドの祈り子の間へ。
そこにはユウナレスカが過去、自らの夫を究極召喚とした祈り子の石像があるだけだった。
シンを倒せる究極召喚は祈り子から得るのではなく、ユウナレスカから授かる……とされる。
更に奥に進むと、1000年前の大召喚士、ユウナレスカその人が現れる。無論死人だ。
ユウナレスカはユウナにガードを一人選び、究極召喚の祈り子にしろという。
究極召喚を使えば君も死ぬから、悲しくないよ!と嘯く。
この時、幻光虫が過去の記憶を映し出す。
若かりしアーロンはユウナの父ブラスカに訴える。
「まだ間に合う。帰りましょう!」
しかしブラスカは私が『シン』を倒すのだ。それとも他の召喚士に私と同じ思いをさせるというのか、と退ける。
ジェクトは自分がザナルカンドに帰ることが出来る可能性が限りなく乏しいのを感じ取り、自分が究極召喚になると言う。
息子ぬか八を一流の選手に育て上げ、自分も見た頂点からの眺めを見せるというかつての夢も、今や潰えたことを悟ったのである。
自分が究極召喚になった後も、ブラスカには『シン』を倒すという役割がある。ジェクトはアーロンに後事を託すが、アーロンは『シン』を倒しても何度でも復活することを知っている。友の死が、無駄になることを……。
記憶の中のアーロンが項垂れる。自ら人柱となったジェクトを、そして人柱となったジェクトを見るブラスカの背を見ながら。萎えてしまった足、離別を受け入れることが出来ない哀愁を、その背が物語っている。
今や壮年となったアーロンは、若かりし頃の自分を見て、それを過去の汚点とばかりにかき消そうとする。ゆきて帰らぬ過去を、自分自身を否定するかのように。
結局ブラスカ、ジェクト、アーロンの三人は、『シン』を倒すことが出来ても、何も変えることが出来なかった。アーロンはそれを悔いているのだ。
ルールーやワッカはユウナが究極召喚を欲するというのなら、自分が祈り子になるという。
しかしぬか八はそれを認めず、それでは親世代の失敗を繰り返すだけだとして認めない。
『シン』を倒して誰も死なない、その至極単純な作戦目標に対して、誰もが諦観している。
これこそがこの宗教の肝だ。
停滞と諦観、死の螺旋を続ける無間地獄。その存続こそが、エボン教の目的なのだ。
ユウナレスカは、ユウナが誰を祈り子にするのか待っている。
彼女は『シン』はスピラが背負った業であり、定め、変えることのできない運命だという。
ワッカは人間が罪を償えばいつかは『シン』が消えるというエボンの教えの真偽を問いただすが、ユウナレスカは、人の罪が消えることなどあるのかと言う。
ないよね。僕もそう思う。償いをする人間より罪を犯す人間の方がずっと多いんだ。
償いが、果して罪を本当にみそぐのか?
ケガレには半減期があるのだが、それはケガレの強さによっても違う。人間が次々に罪を犯し続けるのなら、ケガレの祓われる時など、永遠に来ないのだ。
罪が消えれば『シン』も消える。それがエボン教の教義の大いなる欺瞞だった。
しかし、僕はこの教えを無間地獄の最後の救いだと捉えてしまったスピラの人々を蒙昧だと思うのと同時に、そう教育したのもまたエボン教であることを考えれば、ますますこの邪教について滅ぼさねばならぬという気持ちが強くなる。
愚かしくて醜い、救いようのない人類に、救済という夢を見させてやるのは宗教の役割だ。たとえそれが偽りの救済であったとしても、それを信じている限り信者は救済があることを信じている。
浮世には救済が必要なのだ。だが、その浮世を作り出しているものが、救済するはずの立場である救済者であったとしたら、それは善悪二元論的宇宙に存在する、絶対悪に他ならない。
もし、この世に全能の神なるものが存在するとするならば。
全能の神が世界の、全生命の、そして人間の造物主であるとするならば。
この世の不完全さ、悪しき行いの蔓延り、絶えることのない苦しみは、一体誰の作り出したものであるのか?
このスピラの現状を作り出した張本人は、ユウナレスカであると言っていいだろう。彼女こそがこの地獄の中心だ。
彼女が悪しき人間たちに用意した最後の救済が、気休め以外の何物でもないのなら、この宇宙の構造は誰も救うことの出来ない失敗作だ。
アーロンは10年前、それに気づいていた。ブラスカが、ジェクトが死んだあと、この場所でユウナレスカを問い詰めた。
そして、殺されたのだ。
ユウナは偽りの希望を拒否し、運命を変えることを望む。
しかしユウナレスカは自分の作ったまやかしの救済を拒否することを許さない。
悲しみに満ちた生より、希望に満ちた死で世界中を支配するのが、彼女の救済なのだ!
もはや対立を避けることは出来なくなった。
アーロンは言う。
「さあどうする! 今こそ決断する時だ。死んで楽になるか、生きて悲しみと戦うか。自分の心で感じたままに、物語を動かす時だ!」
簡単にユウナレスカの攻略を書く。
三形態ある古式ゆかしいボスなので、形態ごとに攻略法を変えて挑む必要がある。
大前提として混乱防御をつける。これがないと第三形態でわけもわからずじぶんをこうげきした!になってしまってストレスフルになる。
まず第一形態。こいつはカウンターしてくるクソチキン雑魚なので殴ってればそのうち死ぬ。
第二形態、こいつが人のことをソンビにしてくるエボン教そのものを体現した攻撃をしてくる。
なので素直にゾンビになってあげましょう。
第三形態になった瞬間、ゾンビ以外を即死させてくる。そのほかはちょっと攻撃が痛い以外第二形態と大きく変わりないので純然たる暴力で宗教を破壊するのだ。ぶっ殺されたらぶっ生き返してまた死んで生き返るダメージレースの始まりだ!
これぞエボン教というボスだが、これまでのボスと同じく、召喚ボンバーで倒せる。究極召喚がどうとか言っておきながら、普通の召喚獣の物量作戦で死ぬのすごく皮肉が効いてるね!
絶対悪、ユウナレスカは自分を倒せば究極召喚は永遠に失われる。お前たちはスピラの希望を消し去ったのだと嘯く。
たとえ『シン』を倒しても、エボン=ジュが新たな『シン』を作るだけだと。
スピラは希望の光を失い、悲しみの螺旋に落ちる……と。
力尽きたユウナレスカはチリのようになって消えた。今この場所で、事実上エボン教は滅んだ。
しかしこいつ今更何言ってんの???
もう十分悲しみの螺旋の真っ只中で数千年苦しみ続けてるんだぞ。
救いのない世界なら、ぶっ壊すしかねえよなあ?
このユウナレスカとか言うやつに関して言えば、宗教者としては、僕はシーモアの方が優れてると思うな。
救済は耐え続けることではなく、現状の打破にこそあると僕は思う。
「とんでもないことしちゃったのかな?」
ユウナは言う。
「もっととんでもないことしよう」
ぬか八は返す。
いいぞいいぞ!毒を食らわば皿までと言うしな。もしこれがユウナレスカの言う通り、スピラの希望を喪失させる行為だったというのなら、希望を失った世界で生き続けるほど苦しみに満ちた生もない。
とんでもないことしちゃおうぜ。
アーロンはついに自分が死人であることを明かす。
そして、アーロンがぬか八を見守ってきたことは、ジェクトの遺言があったからだった。
若かりしアーロンの、「約束しよう。あんたの息子は俺が守る。死んでも……守ってやる」というセリフ、僕は演技も含めて凄く好きです。
道中あんなに反駁しあっていた二人がね……お互いのことを認めあって、ジェクトの大切なものを守るために命を使うんだ。
ブラスカを、ジェクトを、守れなかったその腕で、ぬか八を守るんだ。ジェクトの代わりに……。
うっ ホ、ホモ!!!(ピポーン!)