かぜはく電脳曼荼羅

玄秘学、食文化、ゲーム、生と死に非常な関心があります。

FF10 老師!ここはまとめて処刑でどうすか

薬ってすげええええええ!!!

 

シャブー ハーイ↑

 

いや決して悪い薬を使ってるわけではなくてですね、この間早く帰りたすぎてバス停から駅まで全力ダッシュしたんですよ年甲斐もなく。

そしたら筋肉痛からのぎっくり腰になり、その流れで大腿神経痛という満貫手になってしまったわけですね。

 

基本的に俺様は超健康で強いて体の問題ある所を上げるとしたら目と顔(美形すぎるので……)、肝臓(おちゃけがしゅきだから……)、腰(意外と問題あるとこ多いな……)くらいなものなので病院とかはあんまり行かないの。

 

しかしながら今回は立ってるのが精一杯で夜も眠れないみたいな状態になったので渋々行ったの。病院に。

出るわけ。薬が。飲むよね?そうすると痛みがなくなるのよね????????

 

薬、やばくない????薬とかいうの作ったやつやべえ。褒めて遣わす。

 

 

それはそれとしてFF10な。

足がずっと痛くて日記どころじゃなかったのよね。

この苦しみから救ってくれるなら入信するわみたいな勢いだったのだが、しかし現世利益を信仰の第一義に置いちゃう宗教者ってダサいからダメよね。

もっと言うと現世利益を信仰の目的に置くなら、目的とする現世利益が信仰以外で得られてしまったら宗教やる意味がないわけ。

だから信仰の目的を現世利益にしてしまうと、それは宗教の神秘性、信憑性に脆弱な部分を作ってしまうことになる。

入信すれば病が治りますよ?みたいなクソ宗教は結局の所現代医学によって容易に否定出来てしまう。皆さんも現世利益をダシに入信を進められたらそこが石投げポイントですよ。

 

ゲームの話に戻ろう。

時を戻そう……。

最近芸風がぺこぱに似てるって言われるんです。

 

祈り子の間から出たとこでウェン=キノック老師に捕まえられてしまい、裁判所に連れてかれた一行。

 

ケルク=ロンゾ老師は問う。

「召喚士ユウナはエボンの民を守る使命を帯びたもの。汝はシーモア=グアド老師に危害を加え……さらにアルベド族と手を組み、騒乱を起こした。これはエボンの秩序を乱す許しがたい反逆行為である。なにゆえ、このような暴挙に及んだ?その意図を述べよ」

 

 

ユウナ

「真の反逆者はシーモア老師です!実の父であるジスカルを殺しました!!そればかりか、シーモア老師は既に死んでいます。彷徨う死者を異界に送るのは召喚士のつとめです」

 

確かにシーモアは自分の父親を殺してるし既に死人だけど、別にそれは今回の裁判に関係ないし、シーモアに危害加えて殺したのは事実では?

異界送りは召喚士の仕事かもしれないけど殺人は殺人なのでは……。

ユウナちゃんは罪を軽くしようとしてるのではなく、とにかくシーモアを異界送りしようとしてるのかな??

 

イカ総老師にシーモアの異界送りを嘆願するも、マイカ総老師は意味ありげに、

「死人は異界に……と申すか?」

と答え、自分の体から幻光虫を飛ばす。

 

イカ総老師は死人だった。

 

ケルクとキノックはマイカ総老師を死してなお必要な指導者だと言う。

優れた死者による支配は、愚かな生者による支配に勝ると。

 

シーモアは生命はしょせん空しい夢で、生のあとに来る死こそが永遠だと呟く。

 

頷けますね。支配者に必要なのは才能だし、共同体を長続きさせるためには優れた指導者を用意し続けなくてはいけない。

死んでからもこの世に存在し続けられるなら、生とは何か?空そのものということになりますからね。

 

でもそれって虚無主義だよ。そんな奴らが頭張ってるからエボン教は進歩してねえし、宗教哲学が発達してねえんだよ。

持続可能性というの、非常に重要視されてはいるが持続可能性を高めるために本質を犠牲にするというのは、本末転倒だ。

本質を持続させることにこそ意味があるのだ。

 


イカ総老師が言うに、
「人は死ぬ。獣も死ぬ。草木も死ぬ。大地さえも死ぬ。スピラのすべてを支配するのは死の力にほかならぬ。逆らうだけ無駄というもの」

という。

 

なるほどね、そこでマイカ総老師は死人やってるからその当然の死のサイクルの中で澱んだ生ゴミみたいになりながらも通常の流れから逸脱してるから総老師やってるってわけね。それが宗教者としての神秘体験か。

 

ユウナはマイカ総老師の言葉に反駁する。

これまで『シン』に立ち向かってきた多くの人たちや犠牲は無駄だったのかと。召喚士のは無駄だったのかと。

 

イカ総老師は、無駄ではない。『シン』が復活するのを止める手立てはないが、『シン』に立ち向かう召喚士の姿は民草の希望になり、召喚士の生も死も無駄にはならないと言う。

 

そこにすかさずアーロンは口出しする。

「無駄ではないが、解決にもならない」、と。

 

イカ総老師は、それこそがエボン教の真実だという。変わらないこと、継続することがエボン教の本質だと。

その真実に異を唱えるものは反逆者だと。

 

なーーーーーーーるほどね???

 

僕は宗教ってやつ大嫌いだが、殆どの宗教は何かを良くするためにある。それはいいと思う。

民族を一つにまとめて結束を強めるためだとか、モラルを向上させるとか、よりよいとされる生き方を実践するだとか、ひたすら哲学して思考によって苦しみの向こう側に行こうとしたりとか、もっと大雑把に、幸せを甘受して生きるためだとか。

 

ボン教は違うんだな。

どっかのアホの唯一神みたいに、狂った命令を信徒に下してる上位存在がいる。

継続すること、変わらないことがその上位存在、所謂神なるものと言える存在か、それに近いものの望みなのだな?

 

邪神を崇める邪教めが。必ず滅ぼさねばならぬ。

 

裁判は、ユウナ一行を反逆者として判決を下した。

 

 

ぬか八とアーロンは檻に入れられている。

アーロンは、スピラを死の螺旋だと嘆く。

死をまきちらす『シン』に挑んで、召喚士たちは死ぬ。召喚士を守るためにガードは命を投げ出して死ぬ。祈り子の正体は死せる魂。エボンの老師は死人。『シン』だけが復活を繰り返して死を積み重ねていく。永遠にめぐりつづける死の螺旋だと。

 

この構図、『シン』こそがエボン教の真実である持続と不変の恩恵を受けているように感じるね。

『シン』こそがエボン教の教えを淀んだまま維持し続けている邪悪な神という構図なのか。

 

そんなこんなでキノック老師はふたりを処分するためにやってきた。

ぬか八は地下水路に落とされ、アーロンは地下通路に落とされた。

 

どうでもいい話をするけど、地下通路とチカチーロって似てるよな。

 

ぬか八は地下水路の中でワッカ、リュックと合流する。

 

泳げるメンツだけ水路に落とされたの?

三人は水路の出口を目指すことになった。

 

一方その頃、エボンの陣営といえば、ケルク老師はシーモアの親父殺しが気に食わず、シーモアは召喚士ユウナを生かす利点をマイカに説明するも、マイカはエボンの秩序を乱すという理由でユウナ絶対殺すマンとなっていた。

シーモアは私自らが手を下す!ということで浄罪の道(地下通路と地下水路)へと赴こうとするが、キノック老師も同行することになった。

たった一人の女への執着により、エボン教は千々に乱れている……。

 

場面は地下通路に。とくにどうと言ってこうというダンジョンでもないのだが、その辺に幻光虫がうようよしてたり、モンスターがわらわら居たりして殺しに来てる感が強い。

 

最初はユウナ一人なので召喚を使ってダメージを肩代わりしてもらいながら進む。

ここまで召喚をほぼ使おうと思って使ったことがなかったな……ぬか八くんの殴りとワッカの対空とルールーの属性魔法で全てが事足りてしまわない?

 

ちょっと進むとアーロン、キマリと合流。

困ったな、こいつら二軍なんだよ。

火力偏重のはずの脇毛処理完璧許されざる口元おじさんはあまり育ってない所為でダメージが捗らず、キマリは龍剣を全く使ってないので持ち味が全く活かせない(その持ち味も別に強くはない)。ラーニングしたらオーバードライブゲージが満タンになるのはいいですね。ま、ちょっと強い通常攻撃みたいなのしか出せないけど。

 

奥まで行くと、飛空挺まで一緒だったイサールがいた。

ベベルで降ろされた時、エボン教に連れてこられたらしい。大方反逆者の汚名を着せられそうになって、潔白を証明するために浄罪の路の番人させられることになったみたいな感じかな。

 

ちょっと待って欲しい。ルールー回収してないんだが……黒っぽいから保護色になってたのかも……。

 

心配には及ばず、イサールとユウナの一騎打ちとなった。

ほとんど召喚獣育ててなくてもまあなんとかなるバランスに仕上がっている。ベルゲミーネとかいう鬼畜とは違う。

ユウナをちょっと強くしたら召喚獣も一緒に育つのね。

「おぼえる」はストーリークリアには不要論!!

 

イフリート、ヴァルファーレ、バハムートの順に召喚してくる。

イサールはそれぞれ名前を付けてて可愛いね。

こちとらヴァルファーレはキラーさんに「ハガー」(胸の部分がフェイスハガーみたいだから)にされかかったところを止め、イフリートが「ワンチャン」になるのも阻止し、イクシオンは「イクエ」になりそうだったのも辛うじて止めてここまで来ているというのに……。

 

相手の召喚獣にあてる順番さえ間違わなければどうということはない。手持ちはこちらの方が多いしね。同じ召喚獣は同時に出せないので、とっととバハムートを出して先鋒を撃破して次鋒を削れるとよい。残りは数で押せば相手はジリー・プアー(徐々に不利)!

 

全ての召喚獣を下したら、イサールはその場にへたりこむ。

そんなイサールの耳元で、アーロンは囁く。

「もう、旅はやめろ」

 

僕自己犠牲の精神が逞しい信徒にそういうこと言うと生きる意味を見失っちゃうと思うな!

ま、マローダとパッセと仲良く暮らせ。

 

所変わって浄罪の路(水路)。

サハギンとかピラニアとかどってことない敵ばっかり出てくるのだが、多くの罪人は泳げずに死ぬからですね。

そんな中特性すいすいを持つこの三人はまるでテーマパークに来たみたいだぜとばかりに悠々と進んでいた。

しかし如何にもなんかありげな広い道に差し掛かった時!背後から現れたのはベベル上空で戦ったエフレイエ!

今こっちにはルールーがいないんだわよ???

しかしながら、こういういっぺん倒した中ボスっぽい奴がゾンビ化して、なおかつこちらの戦力が減している時に出てくるというのは相手も弱体化してるパターンの奴に違いない。

三人で扉をがっちゃんがっちゃんしながら進み、ドアの向こうから一方的に攻撃することで撃破。

フェニックスの尾二回使えば死ぬんだけどさ、安全圏からちくちく殴って殺すのって、素敵やん?

これは非常に重要なファクターだが、石化防具装備はあった方がいいぞ。ほぼ即死だからな。

 

そんなわけで浄罪の路を突破し、パーティメンバー合流。

 

しかしそこに現れたのはシーモア。手にはキノックの死体。

いわく、キノックは権力の亡者だったから殺して苦しみから解放してあげたとのこと。

 

死は全ての苦しみを癒して拭い去ってくれる。

全ての命がなくなれば、全ての苦しみもまた消える。

死を持って全てを救済するために、私は『シン』になり、スピラを滅ぼす必要がある。

その為に力と命を貸せ!とシーモアはユウナに迫る。

 

シーモアはキラキラした食玩みたいな見た目になり、お供の虫さんを連れて出てきた。

 

しかしシーモア、魔法攻撃がほとんどなのでルールーに集中を重ねがけさせとけば問題ない。石化にだけ注意して、適当にボコってれば倒せる。召喚獣は出したら消してくるから出すのやめましょう。

 

そんなわけでシーモアは二回目の死ですが、ご気分いかがですか?

 

人間の苦しみには限りがないから、自分が全てを滅ぼす!っていうの、短絡的だけど僕としてはこのスピラの状況を鑑みるとあながちナシでもないように思えるよ。

 

スピラはエボン教の思想が全てを支配しているが、この思想自体が非常に邪悪なため、スピラの文明自体が停滞してしまっている。

文明が停滞する原因が邪悪な思想であるとするなら、思想を生み出した人間もまた邪悪であると言える。

ただ、人間一人の持つ邪悪などはスピラの文明のうちに積み上げられた邪悪の総量に比べれば、大したものではない。

だから連綿と積み上げられた邪悪と、その担い手たる人間を滅ぼすことでこの世を救済することが出来る。

そしてその文明の、邪悪の、人間に対する破壊者に、自分自身がなるというわけだ。

 

一人の人間が出来る全人類の救済法としては妥当だよね!

 

考えても見てくださいよ。古今東西の優れた宗教者たちを頂点に戴く各々の宗教は衆生の救済を謳うけれども、事実として全人類を救済した宗教がありますか?

ない。

釈迦は王族として生まれながらも急にパンクに目覚め、自分の抱く苦しみから抜け出すために悟りを開いて解脱したが、自分一人解脱して救済しただけで終わった。原始仏教は多少の残り香を諸派に残して滅んだ。

エスはめちゃくちゃおもしろいアンちゃんで、面白い説法と癒し芸で有名コメディアンになったあと批判して飯の種にしてた同宗他派に恨まれて殺された。

ムハンマドは夢に出てきた天使様の言うことを信じてた危ないおじさんだったが、部族の司令官になって昔いじめてきた奴らをボコボコのズタズタにし、最終的にアラビア半島を暴力で征服してイスラム帝国の礎となった。

 

三大宗教の長ですら、誰も一人で全人類を救ったりはしてないし、この先も不可能なのだろうと思わされるね。

 

人類の救済という大いなる命題の前には、善悪とかいうのは些細な問題だと僕は思う。方法はどうあっても、シーモアは一人でこの世界の人類全てを救おうとしてるんですね!!

 

一人だからその方法を取るしか無かったとも言えるか。

シーモアは目的意識もあり、宗教者としても優れており、指導者としてのカリスマ性も備えていたが、残念ながら目指した世界のビジョンが他の賛同を得られるものではなかったという点が彼の手段を先細りさせてしまった。

 

苦しみに喘ぐ人類を見てたら、救済したいと考えてしまう人間が出るのはままあることだと僕は思う。そういう人達が人を連れて、人類を救済しようとして皆道半ばで中途半端に救済を行って死んでいく(当然ながら人間には寿命があるので、全人類の救済は一人では不可能)。

 

かくいう僕も人類ってどうすれば救済出来るんだろうとつい最近まで考えてたし……。

(現在は苦しみながら生きるのは人間の生態だと思っているので、特に救いたくはないです)

 

たった一人で全人類を救済するなら、悉皆丸ごと殺しきるしかない。そういう結論になるのはまあ、判りますよ。

 

シーモアの思想は、エボン教の邪悪な思想があってこそ成り立つので、エボン教シーモア派と呼ぼう。アリオス派とか仏教の中の更に日本仏教の中の浄土宗系みたいなもんですね。異端ってことさ。

ボン教が1000年かけて作った秩序を破壊するという反宇宙的な意味においてはグノーシス主義っぽいですね。

グノーシスはいいですよ!!

自重で苦しみの沼に沈んでいきそうなとことか特に!!

 

ちょっと考えてみたんだけど、能動的に全人類を救おうとした場合、一人では不可能という事に気が付きましたね。

僕は無意味に群れる宗教者のこと大嫌いなんだけど、母数を大きくしないと当然多くを救えない。群れないと救える数が少なくなるんですね。

 

僕個人の考える救済のスタンスとしては、個々人が自らを救済し、幸福の状態にある人間を増やすことが重要だと考えていて、そのための手段は別になんでもいいと考えている。哲学でも、愛でも、衣食住の充実でも、享楽的な生き方でもなんでもいい。

しかし人が幸福になる手段として「宗教」というのは古来から常に採られ続けてきた手段ではあるのだが、僕はもう古くて使えないと思っている。

さらに言えば、幸福のための手段が人を不幸せにするなら、無くしてしまったほうがいい。僕はそう考えている。それは宗教に限らない。

 

そういうわけでシーモアのこの破壊的な考え自体には僕は結構賛成だし、彼のことはそんなに嫌いになれない。

 

 

次回、世界一ピュアなキス(笑)