かぜはく電脳曼荼羅

玄秘学、食文化、ゲーム、生と死に非常な関心があります。

FF10 エボン教があぼーん

「なあ、もっと色々あったよな?あの時とかあの時とか、みんな、なんか無い?」

 

彼は時が過ぎるのを惜しむように、誰かが腰を上げるのを引き止めるように皆に問いかけるが、徒に時間を引き伸ばすことしか出来なかった。

 

そんなぬか八をユウナが遮る。

 

「思い出話は、もうおしまい!」

 

彼女がここまで歩んできたのは、死に至る道行きだ。

歩む度に彼女は死地へ赴く覚悟を固め、今最終幕の舞台袖にいる。彼女はこの幕で舞台花に立ち、華々しい大団円を迎えるのだ。

 

ぬか八の中途半端な覚悟は、ユウナの覚悟とは比較にならない。彼はユウナを止めることが出来ず、彼女に引き続いて他の者たちも武器を取った。

 

 

ここで流れるのが「いつか終わる夢」ですね!

この曲素晴らしいと思う。

素敵だねのアレンジは大体どれもいいんだけど、僕はビサイド島とこの曲がとても好きです。

ずっと聴いてたいですね。

戦闘中もずっと流れ続け、ファンファーレも流れない。それもあって凄く記憶に残ってる曲です。

 

一行はザナルカンドの中を進む。かつてハイウェイだった道を、ブリッツボールの会場だったドームを……。

 

エボン・ドームに差し掛かると、僧官の死人が現れ、ユウナをドーム内の、ユウナレスカのもとに導く。

 

はっきり言っておく、ここのBGMは最低!!!

「いつか終わる夢」が良すぎるばかりに、ここの

 

「ズンドコシャン!!!……シャンシャン ズンドコシャン!!!(以下無限ループ)」

 

が残念すぎて言葉もない。

ユウナがエボン教の秘儀にして最奥、全ての召喚士と悪夢の根源であるユウナレスカの元に挑もうとする時の緊張が、ブリッツボールの試合に挑もうとする選手と同じなわけないだろうがと思う。

 

エボン・ドーム内は幻光虫に満ちており、巨大なスフィアと同じものとも言える。

ここに残された強い記憶は、映像として残っている。

大召喚士ヨンクンのガード衆、かつてここを訪れたシーモアとその母、そして、ジェクト、ブラスカ、アーロン。

 

ジェクトはもうやめて帰ってもいいんだぞとブラスカに語りかけ、若かりしアーロンは半べそかきながら「あなたが死ぬのはいやだ……」と袖を引く。

 

はい、エモい〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

 

今はクッソ無愛想で若者に嫌味言ったり先輩風吹かしたり物知り顔で説教垂れたりするおっさんのわんこ的本性の奴な。

メシが美味くなるわい……。

 

エボン・ドームの試練を超え、ザナルカンドの祈り子の間へ。

そこにはユウナレスカが過去、自らの夫を究極召喚とした祈り子の石像があるだけだった。

シンを倒せる究極召喚は祈り子から得るのではなく、ユウナレスカから授かる……とされる。

 

更に奥に進むと、1000年前の大召喚士、ユウナレスカその人が現れる。無論死人だ。

 

ユウナレスカはユウナにガードを一人選び、究極召喚の祈り子にしろという。

究極召喚を使えば君も死ぬから、悲しくないよ!と嘯く。

 

この時、幻光虫が過去の記憶を映し出す。

 

若かりしアーロンはユウナの父ブラスカに訴える。

「まだ間に合う。帰りましょう!」

しかしブラスカは私が『シン』を倒すのだ。それとも他の召喚士に私と同じ思いをさせるというのか、と退ける。

ジェクトは自分がザナルカンドに帰ることが出来る可能性が限りなく乏しいのを感じ取り、自分が究極召喚になると言う。

息子ぬか八を一流の選手に育て上げ、自分も見た頂点からの眺めを見せるというかつての夢も、今や潰えたことを悟ったのである。

自分が究極召喚になった後も、ブラスカには『シン』を倒すという役割がある。ジェクトはアーロンに後事を託すが、アーロンは『シン』を倒しても何度でも復活することを知っている。友の死が、無駄になることを……。

記憶の中のアーロンが項垂れる。自ら人柱となったジェクトを、そして人柱となったジェクトを見るブラスカの背を見ながら。萎えてしまった足、離別を受け入れることが出来ない哀愁を、その背が物語っている。

 

今や壮年となったアーロンは、若かりし頃の自分を見て、それを過去の汚点とばかりにかき消そうとする。ゆきて帰らぬ過去を、自分自身を否定するかのように。

 

結局ブラスカ、ジェクト、アーロンの三人は、『シン』を倒すことが出来ても、何も変えることが出来なかった。アーロンはそれを悔いているのだ。

 

ルールーやワッカはユウナが究極召喚を欲するというのなら、自分が祈り子になるという。

しかしぬか八はそれを認めず、それでは親世代の失敗を繰り返すだけだとして認めない。

 

『シン』を倒して誰も死なない、その至極単純な作戦目標に対して、誰もが諦観している。

これこそがこの宗教の肝だ。

停滞と諦観、死の螺旋を続ける無間地獄。その存続こそが、エボン教の目的なのだ。

 

ユウナレスカは、ユウナが誰を祈り子にするのか待っている。

彼女は『シン』はスピラが背負った業であり、定め、変えることのできない運命だという。

ワッカは人間が罪を償えばいつかは『シン』が消えるというエボンの教えの真偽を問いただすが、ユウナレスカは、人の罪が消えることなどあるのかと言う。

 

ないよね。僕もそう思う。償いをする人間より罪を犯す人間の方がずっと多いんだ。

償いが、果して罪を本当にみそぐのか?

ケガレには半減期があるのだが、それはケガレの強さによっても違う。人間が次々に罪を犯し続けるのなら、ケガレの祓われる時など、永遠に来ないのだ。

 

罪が消えれば『シン』も消える。それがエボン教の教義の大いなる欺瞞だった。

しかし、僕はこの教えを無間地獄の最後の救いだと捉えてしまったスピラの人々を蒙昧だと思うのと同時に、そう教育したのもまたエボン教であることを考えれば、ますますこの邪教について滅ぼさねばならぬという気持ちが強くなる。

愚かしくて醜い、救いようのない人類に、救済という夢を見させてやるのは宗教の役割だ。たとえそれが偽りの救済であったとしても、それを信じている限り信者は救済があることを信じている。

浮世には救済が必要なのだ。だが、その浮世を作り出しているものが、救済するはずの立場である救済者であったとしたら、それは善悪二元論的宇宙に存在する、絶対悪に他ならない。

 

もし、この世に全能の神なるものが存在するとするならば。

全能の神が世界の、全生命の、そして人間の造物主であるとするならば。

この世の不完全さ、悪しき行いの蔓延り、絶えることのない苦しみは、一体誰の作り出したものであるのか?

 

このスピラの現状を作り出した張本人は、ユウナレスカであると言っていいだろう。彼女こそがこの地獄の中心だ。

彼女が悪しき人間たちに用意した最後の救済が、気休め以外の何物でもないのなら、この宇宙の構造は誰も救うことの出来ない失敗作だ。

 

 

アーロンは10年前、それに気づいていた。ブラスカが、ジェクトが死んだあと、この場所でユウナレスカを問い詰めた。

そして、殺されたのだ。

 

ユウナは偽りの希望を拒否し、運命を変えることを望む。

しかしユウナレスカは自分の作ったまやかしの救済を拒否することを許さない。

悲しみに満ちた生より、希望に満ちた死で世界中を支配するのが、彼女の救済なのだ!

 

もはや対立を避けることは出来なくなった。

アーロンは言う。

「さあどうする! 今こそ決断する時だ。死んで楽になるか、生きて悲しみと戦うか。自分の心で感じたままに、物語を動かす時だ!」

 

簡単にユウナレスカの攻略を書く。

三形態ある古式ゆかしいボスなので、形態ごとに攻略法を変えて挑む必要がある。

大前提として混乱防御をつける。これがないと第三形態でわけもわからずじぶんをこうげきした!になってしまってストレスフルになる。

まず第一形態。こいつはカウンターしてくるクソチキン雑魚なので殴ってればそのうち死ぬ。

第二形態、こいつが人のことをソンビにしてくるエボン教そのものを体現した攻撃をしてくる。

なので素直にゾンビになってあげましょう。

第三形態になった瞬間、ゾンビ以外を即死させてくる。そのほかはちょっと攻撃が痛い以外第二形態と大きく変わりないので純然たる暴力で宗教を破壊するのだ。ぶっ殺されたらぶっ生き返してまた死んで生き返るダメージレースの始まりだ!

 

これぞエボン教というボスだが、これまでのボスと同じく、召喚ボンバーで倒せる。究極召喚がどうとか言っておきながら、普通の召喚獣の物量作戦で死ぬのすごく皮肉が効いてるね!

 

絶対悪、ユウナレスカは自分を倒せば究極召喚は永遠に失われる。お前たちはスピラの希望を消し去ったのだと嘯く。

たとえ『シン』を倒しても、エボン=ジュが新たな『シン』を作るだけだと。

スピラは希望の光を失い、悲しみの螺旋に落ちる……と。

 

力尽きたユウナレスカはチリのようになって消えた。今この場所で、事実上エボン教は滅んだ。

 

しかしこいつ今更何言ってんの???

もう十分悲しみの螺旋の真っ只中で数千年苦しみ続けてるんだぞ。

救いのない世界なら、ぶっ壊すしかねえよなあ?

このユウナレスカとか言うやつに関して言えば、宗教者としては、僕はシーモアの方が優れてると思うな。

救済は耐え続けることではなく、現状の打破にこそあると僕は思う。

 

「とんでもないことしちゃったのかな?」

ユウナは言う。

「もっととんでもないことしよう」

ぬか八は返す。

いいぞいいぞ!毒を食らわば皿までと言うしな。もしこれがユウナレスカの言う通り、スピラの希望を喪失させる行為だったというのなら、希望を失った世界で生き続けるほど苦しみに満ちた生もない。

とんでもないことしちゃおうぜ。

 

アーロンはついに自分が死人であることを明かす。

そして、アーロンがぬか八を見守ってきたことは、ジェクトの遺言があったからだった。

 

若かりしアーロンの、「約束しよう。あんたの息子は俺が守る。死んでも……守ってやる」というセリフ、僕は演技も含めて凄く好きです。

道中あんなに反駁しあっていた二人がね……お互いのことを認めあって、ジェクトの大切なものを守るために命を使うんだ。

ブラスカを、ジェクトを、守れなかったその腕で、ぬか八を守るんだ。ジェクトの代わりに……。

 

うっ ホ、ホモ!!!(ピポーン!)