かぜはく電脳曼荼羅

玄秘学、食文化、ゲーム、生と死に非常な関心があります。

熱狂的に何かにのめり込む生活をする為に

近頃、情熱を持って何かに傾倒するということが少なくなったように思う。

比較的色んなことに興味が向くのが自分の個性だと自覚しているのだが、寝食を忘れて没頭するというのがない。

そこまで何かに楽しみを見いだせていないのかもしれない。

 

推論でしかないのだが、何故そういうの(以下、熱狂とする)がなくなったかと言うと、寝食を忘れるほどの時間的余裕もなければ、精神的余裕もないことが原因ではないかと思っている。

 

「熱狂」が何にもならず霧散することはほぼない。何か形になったり、経験として得られたり、技能として習得することになったり、知識として吸収されて、僕という人間のさらなる発展に繋がったりする。

 

僕にとっては「熱狂」こそが人生の楽しみであって、自分への理解でもあり、自己研鑽という人生の目的であるといってもよい。

 

だから、時間がないとか余裕がないとかいうことで「熱狂」が出来なくなったとしても、あー最近やれてないな。もうだめだな。とはならない。

どうすればその環境で「熱狂」出来るかを考えることに力を尽くさねばならない。

これは自分自身の「熱狂」から得られるひりつきそれこそが、僕という人間の行動原理の一つであるからだ。

ひりつきてえ。ならばひりつかねばならぬ。

 

僕は今まで以上に「熱狂」がもたらすひりつきが得られる環境に貪欲になるべきだ。

それが今の霧中を進むが如き苦しみもないがひりつきもない、虚無から脱する方法ではないかと思う。

 

時間という資本が不足しているのなら、別の資本を使えばいいし、その資本の使い方に苦心することも僕をまた成長させてくれるだろう。