かぜはく電脳曼荼羅

玄秘学、食文化、ゲーム、生と死に非常な関心があります。

内省

最近保守的な人間になった。というか受動的な人間になったように思う。


元来俺様は他人に物事を持ちかけることが多かった。ことの発端となることが。

いつの間にかその仕事をかぜはくネミテアでははニャんに任せっきりにしているし、大学時代の後半から日常の、他人と交わる生活においてはほぼ放棄しているように思い起こされる。

一人の時はそうでもない。一ヶ月に定めたサブクエストなどは順調にこなすし、やろうと決めたことは苦労することなく腰が持ち上がる。

ただそれが、自分以外を巻き込むとそうでもなくなってくる。

何故だろうか?と思って考えてみたが、どうも世俗とのずれを自覚しているからそのようになっていったのではと感じている。

俺様自身のやりたいことと、他人のそれとに乖離があるというのを信じていて、それを確認するよりも先に、他人について諦めている節がある。

誰かと一緒に居る時に、人のやりたいことに従っているほうが人を不愉快にさせないのでは?
と考えるのは、その実俺様が嫌う世俗の凡百と同じような心の働きなのではないだろうかか。

ではなぜ俺様が世俗寄りになっていったか?
それはつまり、世俗に寄せねばならぬ原因を作ったものの亡霊から、未だに解き放たれていないことに理由があるのではなかろうか。

世俗に迎合することそれ自体は悪ではないが、問題は、なぜその原因を作った亡霊に、俺様が今なお固執して取り憑かれているのかということにある。

亡霊と、取り憑かれているものの本質は別にあるように考えている。
言うまでもなく亡霊とは、あの大学時代の無能を極める部下どもなのだが、その本質、本当に取り憑かれているものはまた別のものだ。

取り憑かれているものの正体について言えば、それは人でもなく、その集まりでもなく、「舞台」そのものであるように思われる。
あの舞台上の、焼け付くような空気、向けられる期待の目、そして賞賛、それら全てである。
幼い頃から舞台の上を自分の領域として捉えてきたから、それを奪われてしまった今、舞台のほうからこの俺様を呼びつけているのではないか。

正体を看破してみれば、この妖怪についてはさしたる害のないものであることが判る。だとすれば、その舞台と共に想起される、憎むべき亡霊どもをさえ除いてしまえば、その妖怪の言う通りにしたって何の問題もないのだ。むしろ己の内に潜む妖怪というのは、自身の欲求にして、自己そのものであると捉えられるのだ。

あの団体は、実に恵まれた舞台を持っていた。その舞台の殆どは、俺様が努力して生み出したと言っても過言ではない。
 
しかし本質は、あの団体の持つ恵まれた舞台を取り返すことではない。
もし取り戻してしまえば、俺様はまた世俗に縛られることになる。

それは、自己を阻害することだ。


もう一度、自分の力であの舞台に立ちたい。


自由になったのだ。だから俺様は、純粋に俺様のやりたいことをする。そうすることでようやっと俺様を取り戻せるのではないか。



また別の話なのだが、大学時代の東京でのフィールドワークの時、コスプレイヤーと付き合ってるコスプレイヤーの彼氏が、風呂場でちんちんまるだしの状態で俺様に自慢話をしてきた。

「自分彼女と喧嘩したことねえっすよ!」

「へー、それまじすげえじゃん(いいか悪いかは知らねえけど)。秘訣とかあんの?」

「基本相手の要望聞いとくことっすね……」

「ふーん(めんどくせっ)」


前述のこともあって、知らず知らずの内に参考にして彼と同じことをしていたようなのだが、(彼女にというより世間に対して)これやっぱ僕には合ってないみたい!!!!

全然うまくいかねえぞメッシュくん!!!


やっぱ迎合ってクソだわ!!