かぜはく電脳曼荼羅

玄秘学、食文化、ゲーム、生と死に非常な関心があります。

パネイオン

アサシンクリードしてたらパネイオンが出てきたので、過去の思い出とともに出る由無し言を手慰みに書き捨つることとする。

 

「パネイオンとは?」

齢17のかぜはくは、友人もてぎを伴って世界史の教科書のアレクサンドリア地図のページを指し示しながら教師にそう訊ねた。

「判らん。パンでも祀っているのでは」

そう答える教師にかぜはくは、

「それじゃあパネイオンの何がぱねえのか判らんではないか。調べておいてくれたまえ」

と言い、その後は終日「パネイオンの何がぱねえのか」について考え、友人と議論した。

その結果もてぎくんは当時我々が首元までハマりにハマっていたマビノギ(通称まぼにぎ)で課金して手に入れるペットに「パネイオン」と名付けた。「ムセイオン」も買い、名付けた。

 

生と死、あるいはその両方の恐怖からの逃避のために、幸福度を実感するために、人類は宗教というものを作り出した。

「パネイオン」もそうした宗教のための一施設であった。

新旧を問わず、聖書にも記述がある。

士師記』、『 申命記』などでは、アムル人らの神、バアルを祀っていた。詳細は省くが、ヤハウェはこれをボコボコにし、すなわちヤハウェを祀るものたちがバアルを祀るものたちをボコボコにした。

ここにバアル神の零落が発生し、ヤハウェによるいわばバアル神の「妖怪化(悪魔化とも言うべき)」が行われた。

 

話をパネイオンに戻そう。

この妖怪の住む山を、ヘレニズムの時代は「パネイオン」と呼んだ。牧羊神パーンを祀る神殿である。

ところでこのパーン神は性豪であった。羊は多産のシンボルであり、古今を問わず牧羊神は性に挑戦的な(配慮した表現)ものが多い。

角のある姿で羊爪を持った姿であるインキュバスや悪魔的イメージの象徴たるサタンのイメージなどは、このパーン神から来たものであるとされているらしい。

前の話に戻れば、零落したバアル神のよく知られる姿は蝿の王であるが、同一視されるモレク神などは角の生えた姿であり、バアル神とともにユダヤ的思想の立場からは淫祠邪教の神とされている。

 

バアル神が邪教呼ばわりされた理由としては、人身御供を行っていたという理由があるにはあるのだが、敵方のヤハウェ側の嫉妬深く非常に攻撃的な性格を考えるにどうも牽強付会の感が強い。

 

普遍的な邪教とはなんだろう?

宗教とは浮世の苦しみを少しでも和らげるための拠り所としての役割があり、その道から外れたものを邪教と呼ぶのは判る。

しかし多くの場合には、人と人が、宗教と宗教が衝突する場合に片方が弾圧のために一方的に邪教が認定される。

普遍的な邪教などというものはなく、片方の側から見て容認できなかった場合に邪教として認め、滅ぼし、あるいは零落させるという目的のための過程、大義名分としての邪教という一元的な見方があるだけではないかと思う。

宗教は、それらを信じる人達の幸福を目的として作られているシステムのはずだからだ。

 

話は変わるが、パーン神は大変人気な神だった。ギリシア中にパネイオンはあったとされているし、羊を常食するギリシア人にとって生活に密着した神であった。多神教は神が分業制になり、それがより単純な欲求に繋がる神であったためにパーン神というのは神の効能……すなわち幸福の実感が得られやすい神だったのではないかと僕は考えている。

 

すなわち人気の神や息の長い(零落しなかった)神というのは、より効能の実感されやすい神であろう。宗教は人によって作られたものであるが故に、好き勝手に作り出した幻影としての神に期待する効能が得られなければ、容易く零落するのである。いわば神は人間の幸福のための奴隷である。

 

パーン神について言えば、その源をバアル神に拠るにせよメソポタミアのタンムーズにするにせよ、ウガリットに遡るにせよ、その信仰は遥か古代から今にまで続く。

ネオ・ペイガニズムと呼ばれる活動は、マジョリティな宗教に対しての異教復興運動とも言われているが、その一派にパーン信仰がある。そうした人達の信仰の中心地や拠り所となっている場所もまた、「パネイオン」と言っていいだろう。

 

人類史のなかで、神というのは無数にいた。しかし連綿と続く人間と神の歴史のうち、今昔を問わず「パネイオン」はどこかにあるのである。

そう考えると、僕は「パネイオン」について「ぱねえな」と思うのである。

 

おわり