グズッてる男の子がいたので。
おそらくグズり期であろう男の子と、その母親がいた。
ちょっと想像力を働かせてみたら、こういう時の親の心境がまじで切羽詰まったもんになっているのではないかと推測できる。
我が子は泣き止まないし、その理由も判らない(泣きながら訴えていることと、泣いている理由は違ったりするようだ)。加えて公共の場で、周りの視線や無言の抗議も痛い。
こういうとき親はどうしたらいいのか?ということについて考えてみた。
まずグズり期というのは、親にとって大変困る時期でもあるのだが、子供にとっては成長の機会であって、その貴重さは他に変え難い。ワンダーウィークとか言うらしいね?
ので、まず周りのことは忘れましょう。
よく訓練された人間は、我が子と社会からの同調圧力を天秤に掛けてしまったりするかもしれないが、社会は言うほど何もしてくれないので社会の事は忘れて、まず我が子のことを考えたほうがよかろうと思う。
まず考えるべき問題を少なくしていく。
「もっとあれしたかった!」
「もっと食べたい!」
「おうち帰りたくない!おうち嫌い!」
「お母さんあっちいって!」
などとずっと泣いていたのだが、このお母さんのよく出来たところは、叱りつけて黙らせることをしなかったこと、更に子供の要求を飲むでなく、耳を傾け続けたことだと思う。
今から思えば、あれは最適解だったに違いない。
でかい声出したらそら子供は黙るかも(もっと大声で泣くかも?)しれんのだが、それは子供を意味もなく押さえつけているだけであって、感情的に相手を支配しようとしている部分においては、泣き叫ぶ子供と何ら変わらんのではないかと僕は思う。
子供と言えど一個の人間であって、その自由意志は尊重されるべきだろう。しかしそれが理性的な自由意志であればである。
グズりと言うのを、子供の様子から鑑みれば、願望や意思というよりは、むしろ精神面の成長に理性の方が追いついて行かぬが故の、感情の発露とでも言うべきものではないかと思う。
だとすれば、その理性的でない感情の発露に逐一答え、望みを叶えるということこそ、グズりに期待される成長を、いわゆる条件付けの強化によって無意味なものにしてしまうのではないかとも。
厳しい躾、甘やかす躾についても考えねばならぬように思う。
叱りつけることをこそ、厳しい躾であると僕は思っていたのだが、考えを改める必要がありそうである。
同じように、叱らないこともまた、甘やかす躾の一つであるというように思っていたが、これも違う。
グズりの表層にある願望をすべて叶えてしまう、そのような務めることこそが甘やかしであって、無意味に叱りつけるようなのは、躾というよりは子供の気持ちをあまりにも無視し、教育についての模索を放棄した思慮の浅い妄動ではなかろうか。
子供からすれば、グズりというのは理性の埒外にある。咳やくしゃみのごとく、非随意なものである。それを叱りつけて黙らせるというのは、「これをすれば叱られて、問答無用で黙らされる」という単純強化となり、その場は静かになるかもしれない。しかし自分のコントロールできる範囲の外にあるものを、それがなんであるかも判らないのに、完全に否定されるのは子供にとってどうか?悪影響があるようにも思われる。
とりとめもなく書いたが、積読になっている『親業』を読むことを宿題として、この辺で締めくくることとする。
『痴人の愛』読んだ
めちゃくそレベルたけえNTRだこれ!
何がいいって、悪魔と称されるナオミを作ったのが、じょうじさんの欲望だということです。自分の満足のいく、自分の思い通りの女を作ってやろうと思って女を引き取り、西洋人のまがい物を作っていく。
当初は幸せに暮らしていたものの、ナオミはじょうじさんの、根底から歪んだ愛情という栄養を受けて、天性の、淫婦としての才能を開花させていく。
NTRでありながら、それ以上にマゾヒズムであるじょうじさんがめちゃくちゃいいキャラしている。寝盗られ男として優秀で、ナオミに捨てられた夜中に一人でナオミに乗られていることを妄想しながら自宅でお馬さんごっこしているところなど、百点満点であるね。
最終的にナオミに完全に屈服するところなんてめちゃくちゃいいですね。そういうの絶対妹原理主義で見た。
主人公が寝取り男に男性機能で完全敗北するNTRは市場に星の数ほどあるのだが、そういったものでは得られない愉悦がこの『痴人の愛』のように、寝盗られ男の破滅的傾向や絶望を、狂気を交えて克明に描かれる作品にはある。大好きなタイプの地獄です。
個人的に愉悦だったくだりを羅列しておきますね。
- 寝取り男二人と雑魚寝することになったじょうじさんが二人の目を盗んでナオミの足の甲に口付けるくだり
- 寝取り男五人衆が半裸のナオミを囲んでおり、そのうちの一人が足を払ってやった時主犯格の男が「そのまま口をつけたら“パパさん”になっちまうぜ」といって笑うくだり
- 自宅に帰ったら寝取り男の一人が我が物顔で寝ており、問い詰めたら「僕も被害者なんです!」と世迷言を抜かすが、じょうじさんは「なんだって!君も被害者だったのか!ゆるそう!」と許してしまうくだり
- ワキガのロシア女のためにダンス教室に通うくだり
- ナオミがブサイクのことを悪しざまに陰口するが、女優でありまことの美女である綺羅子はそれを「まあ」とか「あら」などといって巧みに悪口に加担せずナオミをいい気にさせて喋らせまくるくだり
- 寝取り男と友達になって、ナオミが仲間内で「共同便所」と呼ばれているのも知らずあれこれナオミの話をするくだり
- 女手一つで自分を育ててくれた母が死に、郷里に戻って母の亡骸や懐かしい風景を見て「俺はもうあんな売女と付き合うのはやめよう!玲瓏な人間となったのだ!」と決心するも、東京に戻ってナオミに会ったら「ヨリを戻してくれ!!!」と懇願するくだり
- 自分から四つん這いになってナオミに馬乗りになられた所に吐き捨てるようにヨリを戻す不平等条約(何でも言う事を聴く、いくらでも金を出す、好きなことをさせる、いちいち干渉しない、ナオミさんと呼ぶ等)を突きつけられ、その全てに唯々諾々と従うくだり。
この物語で誰が一番悪いか見えて来ましたね?
僕はNTRが好きなんじゃなくてそういうのが好きなの。勘違いされてはこまる!
すんこくんわかったかな?
私がモテてどうすんだ
を見ました。
根暗迷惑公害キモデブ腐臭ブサイク腐女子、芹沢ちゃんが深夜ホモアニメを実況しているとおもむろに担当が死んでしまい一週間寝込む結果となってしまいます。
見かねた家族はドアをぶち破り、芹沢ちゃんを社会復帰させることにしました。
するとどうでしょう。一週間たっぷり寝たことにより芹沢ちゃんになんらかの魔術的とでも言うべき効果が働き、激ヤセする結果となったのです。
それだけではありません。肉に埋もれていた目は顔面の三分の一を占めるほど大きくなり、眼鏡等の矯正も不必要に。盆地だった鼻は山脈地帯となりました。マスカラとグロスもパッシブで装備されています。豊満だった乳房はそのままに、腹部の脂肪は何処かへと消え、抜群のプロポーションと美貌を手に入れたのでした。
彼女にとってこれが悲劇の始まりでした。今まで完全な善意で接してくれていた男子はオスの顔になり、その体を舐め回すように見るようになります。敵愾心を持っていた後輩もちょっと顔がよくなっただけで手のひらを返し、デートに誘ってきます。
彼女は自らの分を越えてしまったのです。定められた彼女の分は、根暗迷惑公害キモデブ腐臭ブサイク腐女子として一生を終わらせることでした。たまに次元を問わず男の絡みを妄想して、デュフデュフ言うことが彼女の幸せであったはずなのに……。
いろいろあって因縁のあるイケメンたちとデートをすることとなりました。
映画を見たり(実際は映画がつまんなくて男の肩で寝る不良男子をガン見して)してました。
「全然つまんなかったですけど?」とか言いながら鼻水をズビズビ言わしてる後輩に眼鏡イケメンはポケティを渡して、「使いなよ」などと囁いておりました。「鼻水つらそうだし……」
僕はうるせえな、飲めよそんなもんと思いました。
映画の帰りにシティのストリートをトゥギャザーウォーキングしていると、芹沢ちゃんはアニメイトで限定抱き枕が売り出されているのを発見し、矢も楯も堪らず突入してしまいます。抱き枕を手にした芹沢ちゃんはアニメイトの前で立ち尽くす男性陣に向かって一言、
「ごめんなさい、私オタクなの!」
何がごめんなさいなんですかね?僕の中で芹沢ちゃんを知るかバカうどん先生に引き渡した瞬間でした。
しらーっとなる男性陣の中でただ一人、六番の男(僕は彼の名前を覚えていません)は、
「何が問題なの?好きなことがあるっていいことだと思うけど」
この六番の男はよく出来た男だと思います。見た目が完全に変わってしまった芹沢ちゃんを一目で看破したり、彼女の人間性について偏見なく見ている男でした。彼女の趣味についても理解を示しているし、結果的に彼とくっつくのが芹沢ちゃんは一番幸せなるのではないかと思います。少なくとも誠実そうな仮面の下で女の子を取っかえひっかえしてそうな男や、アホ枠やその他のよく覚えてない奴らよりかは一等良い。
だからこそこの六番は、見せに来た地雷なのかもしれない。そんな出来た男が、人間的欠陥の一つも抱えていないなんてことがあるでしょうか?きっと仲が進展したら「実は僕は、デブだった芹沢さんが好きなんだ」とか「実は僕はホモなんだ。君には僕が他の男と絡むのを別室でモニタリングしてほしい」とか、「僕が全部してあげるからね。今オムツを変えてあげるからちょっとだけ我慢してね」とか言い出すに違いないのです。
それであっても、彼女の趣味を理解しない輩や、放らつな浮気もの、粗暴な人間、あとなんかよく覚えてないやつよりかはよいのではないかと思います。それこそが分であり、合わない人間と巡り合わされる不相応を考えたら、どんなにこの六番の男がマシであるかと思えるのです。
それはそれとして、芹沢ちゃんは知るかバカうどん先生にひどいことされてほしいです。
目の前で付き合いのあるイケメン男性がホームレスに汚いポジハメされるのを無理やり見せられたりしてほしい。瞬きは許されない。
あと腐女子仲間には「今まではお前がブサイクだから付き合うとったんじゃ!」って言われるみたいな。同性の友達には美人になったが故にハブられ、異性には美人になったが故に好色な目で見られてほしい。
あー面白かった。
『Bocchang!』
個人的に鬼才だと思っている作家がいて、最近『こころオブザデッド』というのを書いている。荒唐無稽だが達者な文体と、恐らくこれがこの作者の最大の特徴であろうと思われる、針の極めて小さいのを、丸太のごとくに形容する、あるいは揶揄、修飾するケレン味の漂わせ方。その巧緻に僕は学ぶべきものがあると思っている。
その結果気になったので『坊っちゃん』を読んだ。
簡単にあらすじを書くと、暴れん坊の江戸っ子が学校を出て四国まで数学の教師をしにいく。
行ったはいいのだが、田舎の人間関係がクソだったので鉄拳制裁して東京へ戻り、大好きなおばあちゃんと一緒に暮らすという話。
とにかく坊っちゃんのキャラクターが純粋で、教師陣が(邪悪であることも含めて)真っ当な人間をやっていることから、それが更に際立って見える。
この作品の主人公というのはべらんめえの坊っちゃんなのだが、もう一人裏坊っちゃんがおり、その名を山嵐という。
これが割合出来た人間で、それをしたのが誰であろうと悪いことは悪いと言うし、良いことをしたら良いという。人に流されない信念を持っていて、それに従って行動している。坊っちゃんと山嵐は同じ部類の人間関係がなのだ。
主人公の方の坊っちゃんも、悪いことを指摘されたら、それが嫌いな人間に言われたとしても、真正面から受け止めて正直に謝る。
「全く悪い。あやまります」、と。
それが言えない人間が多すぎるのだ。みんな坊っちゃんになったらよい。
対して人間をやっている奴らは、そんな坊っちゃんたちを姦計を巡らせて食い物にし、責任をなすりつけたり、下宿を追い出したり、仲違いさせたりする。
こう言った人間たちと、坊っちゃんたちを『坊っちゃん』という表題からも判るように明確に分類しているのは、それぞれの読者の持つ人間性について今一度一考の機会を与える意味があるだろうと感ぜられた。
現状に満足してない社会人各位は一読し、読了後自らの裡にある坊っちゃんの心を追懐されるとよろしかろうと思う。
昨日見た夢の話
仕事中昼寝してたら夢を見ました。
さる事情からすんこくんの主催する合コンに参加することになったかぜはくは、すんこの全オゴリという条件のもとそれを承諾し、残りを人員を集めることも引き受けました。
かぜはくは洗面所で眉毛をカットしているイマ忠くん(説明しよう!イマ忠くんとは、かぜはくの都合のいい属性を寄せ集めた燭台切光忠くんの外見をしたイマジナリーフレンドなのだ!)に声をかけ、
「おいイマ忠くん。ポケモンGoしにいくぞ」
と声をかけた。
振り向いたイマ忠くんは目を輝かせ、
「本当かい!?」
と声を上げた。
数時間後、「ハハ、どうだモンスターばかりだろう」と笑うかぜはくをにらみながら、合コンに参加するイマ忠くんがいた。
イマ忠くんはイケメンなので、とてもモテる。しかしイマ忠くんはブサイクのことを握ったら音の鳴るおもちゃか何かだとしか思っていないので、何か話かけられても
「うん。君の顔ってアンコールワットに似てるよね」
「へぇ。そうなんだ。ところでお昼にドブネズミ何匹食べたの?」
「君ってもしかしてハーフ?チンパンジーとネアンデルタール人の?」
などと罵詈雑言を浴びせかけ、難攻不落のジムリーダーと化していた。
一方のぼくはというと無言でブサイクの写真を撮り続け、ツイッターに「ブサイク(画像)」「先行きが不安になるブサイク(画像)」「町内会が全員死に絶えたかのごときブサイク(画像)」とアップし続けていた。
すんこはブサイクに「すんこさんってなんでも知ってるんですね♡」「すんこさんみたいな頭のいい人素敵だなあ♡」などとアプローチをかけられており、それを見かねた男性陣はすんこを居酒屋のトイレに呼び出した。
すんこくんは「あんな、僕な、あの人すきかもしれん」などともらし、同時に大小便も漏らしていた。
イマ忠くんは「うわっすんこクンそれはよくないよ。すぐオムツ買ってくるね」と言ってトイレを飛び出したが、二度と帰ってこなかった。
「ちくしょうあいつブサイクで遊ぶの飽きやがった」
ぼくはそうごちると、すんこくんの背中をさすりながら、
「ぼくに任せておけよ。悪いようにはしないから」とささやき、すんこくんは黙ってうなずいた。
もう一度席に戻ると、ブサイクパーティも同じように戻ってきたところだった。
僕はすんこくんにアプローチをかけていたブサイクの隣に立つと、落ちていた大根で強かにブサイクを打ち据えた。
「すんこくんだまされるな!よく見ろ。塩撒くレベルのブサイクだぞ」
すんこくんははっとして、
「もう少し殴ればはっきりするかもしれない」
と本性を露わにした。
ぼくは諸行無常とこの世の不条理、不平等を感じ、どことなく時間の無駄なような気がしていたのでトイレに行くふりをしてその場を離れた。
家に帰るとイマ忠くんがいて、「あっ。見て見て、さっきポニータを捕まえたんだ」と見せびらかしてきた。
ぼくは、「そんなのいいから、トモチケをパキりにいこうぜ」と提案すると、イマ忠くんは「いいねぇ!」と乗り気になっていた。
ぼくはプリパラに関しては、あろまちゃんがカワイイということしか、知らない。