かぜはく電脳曼荼羅

玄秘学、食文化、ゲーム、生と死に非常な関心があります。

『Bocchang!』

個人的に鬼才だと思っている作家がいて、最近『こころオブザデッド』というのを書いている。荒唐無稽だが達者な文体と、恐らくこれがこの作者の最大の特徴であろうと思われる、針の極めて小さいのを、丸太のごとくに形容する、あるいは揶揄、修飾するケレン味の漂わせ方。その巧緻に僕は学ぶべきものがあると思っている。

 

その結果気になったので『坊っちゃん』を読んだ。

 

簡単にあらすじを書くと、暴れん坊の江戸っ子が学校を出て四国まで数学の教師をしにいく。

行ったはいいのだが、田舎の人間関係がクソだったので鉄拳制裁して東京へ戻り、大好きなおばあちゃんと一緒に暮らすという話。

 

とにかく坊っちゃんのキャラクターが純粋で、教師陣が(邪悪であることも含めて)真っ当な人間をやっていることから、それが更に際立って見える。

この作品の主人公というのはべらんめえの坊っちゃんなのだが、もう一人裏坊っちゃんがおり、その名を山嵐という。

これが割合出来た人間で、それをしたのが誰であろうと悪いことは悪いと言うし、良いことをしたら良いという。人に流されない信念を持っていて、それに従って行動している。坊っちゃん山嵐は同じ部類の人間関係がなのだ。

主人公の方の坊っちゃんも、悪いことを指摘されたら、それが嫌いな人間に言われたとしても、真正面から受け止めて正直に謝る。

「全く悪い。あやまります」、と。

それが言えない人間が多すぎるのだ。みんな坊っちゃんになったらよい。

 

対して人間をやっている奴らは、そんな坊っちゃんたちを姦計を巡らせて食い物にし、責任をなすりつけたり、下宿を追い出したり、仲違いさせたりする。

こう言った人間たちと、坊っちゃんたちを『坊っちゃん』という表題からも判るように明確に分類しているのは、それぞれの読者の持つ人間性について今一度一考の機会を与える意味があるだろうと感ぜられた。

 

現状に満足してない社会人各位は一読し、読了後自らの裡にある坊っちゃんの心を追懐されるとよろしかろうと思う。