かぜはく電脳曼荼羅

玄秘学、食文化、ゲーム、生と死に非常な関心があります。

FF10 シーモアと愉快な観覧車

前回の末文にすべてがあるべきところにどうちゃらとか書いたけど、この記事の文字数が知らんうちに5,000を超えてたからすべてがあるべきところに帰るのは次回にするって「すべて」さんサイドから通達がありました。そのため、諸般の事情を鑑みてすべてがあるべきところに帰るのは次回になりました。

この度は予定が本来のスケジュールよりも後ろ倒しになってしまい、皆様に多大な迷惑をおかけしてしまいましたことを心よりお詫び申し上げます。

今後とも変わらぬご愛顧を何卒よろしくお願い申し上げます。

 

『シン』、ついにベベルに墜つ!

 

一行は最後の戦いに赴くため、また飛空挺の甲板に立つ。

このころには徐々にリュックのアニキが共通語喋れる様になってきてて胸アツですね。

 

今ここに両腕ぽろりした『シン』と、ついに最後の決戦に至る!

いざ、殺してしんぜようぞ!

 

こうして見ると『シン』の頭部は国芳の寄せ絵のような、かつガンダーラ美術めいた多数の襞の蠢きは仏教美術のニュアンスもある。

ここの所を掘り下げると面白いのかもしれない。

 

『シン』頭部との戦いですが、ほっとくとオーバードライブゲージが溜まって行って重力技を使われて死にます。タイムリミットは12ターン。

『シン』頭部のHPは140,000なので、『シン』に一回ターンが回るごとに11,667ダメージを与えればよいということになる。

 

なーんだ、案外余裕ですね?

 

ルールーの連続魔でゴリゴリ削りながら、たまにワッカでたまたま投げつけてればよい。

なお、『シン』と綱引きして三回オーエスするまでは近接攻撃が当たらないので、ぬか八くんはヘイスガとはげますを使い、サポートに回ろう。

あと敵が石化睨みと混乱睨みをしてくるので、防具で対策しておけばよい。

 

もしかして討伐隊って烏合の衆というか、低火力雑魚ギルドだったのでは??

魔法使いを沢山募兵してオオアカ屋で売ってるぬいぐるみ(ダメージブースト、MP半減)を支給してみんなで囲んで宗教してたら召喚獣とかいらねーのでは???

 

『シン』に近づくと毒気でやばくて、重力魔法でハンバーグにされるってのは判るけど、この方法ならエボン=ジュの外側の『シン』を倒せちゃうのでは???

 

そうはならなかったのがエボン教の邪悪なとこなんだよな。

何故ならその方法を採ったとしたら、「はてなくさかえ」ることは出来ないわけだ。

だからあの手この手を使って、『シン』を倒すことが出来るのは召喚士と究極召喚だけだという情報操作を行ってきたのだろう。

 

くわえて、『シン』は自分を滅ぼすことが出来る文明を察知する能力を持っていて、その文明を破壊しにいくらしい。

(つまり召喚士以外でも『シン』を倒せてしまうということを『シン』は行動で示してしまってないか?)

次に命を落とすかもしれなかったのは、オオアカ屋だったということですね。

『シン』に殺されなかったとしても、この感じではマイカ総老師とか事情を知る教団幹部とかに暗殺されてても不思議ではない。

彼はオーバーテクノロジーを扱うだけでなく、市場に流通させてしまった……。

 

これは経済を利用した神秘殺しであると言えよう。

いついかなる時も、神秘を破壊せしめるのは人間の生み出した技術と未知への探究心なのだ。

そういう意味では神秘を愛するものはみな、須らくして神秘を殺してしまう。

可愛がりすぎて殺してしまうって、素敵だと思いませんか?

話がずれてきましたね?

 

そんなわけで『シン』頭部をぶっ飛ばし、あいた穴から中に入れるようになりました。

なんて力技だろうね。毒気はどうした?

 

『シン』の体内はヘドロめいた体液で満たされている。

ところどころ流れる体液の奔流で通行困難な箇所があったり、一方通行な場所もあったりするが、別段難しいギミックのあるダンジョンというわけではない。

だが、雑魚敵がうっとおしいのでエンカウントなしをつけててもいいと思う。

どうせここに来るまでに相当レベル上げてるでしょ?ラスボスに勝てなかった時だけレベルあげようね。

 

なげきの園とかいう場所で(誰が名前つけてんだ)シーモアと再会。

いわく、シーモアは『シン』に吸収されたらしい。

だが、ただ吸収されただけではなく、そのうち『シン』を内側から乗っ取る計画らしい。

彼の本来の計画では、彼が『シン』になってスピラ中に死をばら撒くはずだったけど、究極召喚が失われたことでそれも叶わなくなってしまった。

というわけで今んとこシーモアは『シン』の悪性腫瘍というか、口内炎というか、そういう存在になっている。

なおも『シン』を破壊し、止めようとする一行に対し、シーモアは自分が『シン』となるために、『シン』を守るという。

そういうわけでシーモアと最終決戦ということに相成りました。

 


FINAL FANTASY X シーモアバトル

 

シーモアバトルいい曲ですよね。

スネアの使い方がかっこいい。

ここのシーモアちょっとカラフルな観覧車みたいなのを背中に背負って登場する。

この観覧車の色の組み合わせによって敵が使ってくる四連続魔魔法がすげえ痛かったり多少痛かったり誤差だったりする。

ガ系魔法を無防備な状態のとこに四連発されたら痛いでは済まないので、対処しておきましょう。

ここまで白魔法のバファイ、バコルド、バサンダ、バウォタを使うシーンありましたか?ここが最初で最後の見せ場だぜ!!!

注意するべきことは観覧車の色を制御することと、六回シーモアにパチキを入れるとデスペルでこっちのバフを消してからアルテマをぶちかましてくること。

 

と、まるで恐ろしい敵かのように書いたが……。

ところでこのシーモア最終異体、めちゃくちゃ弱い。

どこかしらで「勝負師の魂」というアイテムを手に入れてきておいて、シーモアから盗める「光の魔石」をリュックの「調合」で混ぜてしまえば、「カルテット99」なるアイテムに変化する。

これはダメージと回復数値を全部9,999にするというアイテムで、つまるところシーモアを8回殴れば死ぬ。

ユウナで「いのる」をすれば全員9,999回復する。

 

モアシー(業界用語)を撃破すると、一瞬ぐったりするので、そこですかさずワッカが「いまだ!異界に送っちまえ!」という。

こいつ!ちょっと前までエボン命だった癖に!

 

「私を消すのはやはりあなたか……」などとしんみりしながらも消えていくシーモア

私を消しても、スピラの悲しみは消えはしないとシーモアは言う。

 

彼の行動には一貫性があった。自分が『シン』になって何もかも破壊し尽くし、スピラから悲しみを取り除くという目的を如何にして成すかという問題に、常に立ち向かってきた。

彼は常に自分の目標に対して執るべき手段を全て執って自分の目標に近づいていった。その目的意識と、人心掌握術を持って彼にはエボン教の真の支配者になってほしかった。

おそらく過去の形を踏襲し続けて、腐敗に満ちたエボン教に先細りさせていったユウナレスカよりは指導力のある宗教者になれただろう。

 

スピラから悲しみを取り除くという大きな目標のためにぬか八くんたちと協力しあえていれば、違う形で世界に平和が訪れていたのかもしれない。

接吻さえしなければ決定的な決裂にはならなかったのに……(そうか?)

 

少年時代の僕はぬか八くんにいまいち感情移入出来なかったので、目の前でユウナの唇を奪われた時も大して気持ちが動かなかったし、成長してプレイしたときもいまいちユウナのことがピンと来なかった(性癖的な意味で)ため、むしろシーモアに対する憐憫の情のようなものを一貫して感じている。

 

彼可哀想だよね。

幼くして親子共々父親に捨てられ、召喚士としての才能を開花させて究極召喚を手に入れたのに、その代償として唯一自分を愛してくれたお母さんを失ってしまう。

これが弱冠十歳の時。

 

その時に究極召喚と『シン』の秘密を知り、『シン』になることを決意する……。

母を失ったあと、八年間たった一人で無人島で暮らしているんですよ。

そんなん誰だって狂うと思う。狂えた方が彼にとっては幸せだったのかも。

しかし彼の意志の力は今日まで目標に向かって自分の体にひた走り続けることを命じ続けた!

彼にはどこかで報われて欲しかったという気持ちが……

何言うとんねんこんな可哀想なキャラ僕が酒の肴にしないわけないだろ。

 

ちなみにシーモアのおかんを召喚獣として連れていくと、シーモアは「全てが私を拒むか……それもよかろう」と嘆息する。

自分を唯一愛してくれた実母でさえ、自分を殺すために立ちはだかっている。

いやあ、報われないっていいですね!

 

さて、シーモアを無事あの世へ送ってあげたところで一行は更に『シン』の体内の奥へと足を進める。

そこには、今までのヘドロにまみれた世界とは別の光景が広がっていた。

ザナルカンド。

千年前に滅んだ機械都市と寸分たがわぬ街並み、死せる夢の都が目の前に広がる。

ハーここが夢見のザナルカンドですかという感じになる。

 

最終的にたどり着いた趣味の悪い塔に入っていく。

はい、塔ね……。

塔ですか……。

次回は塔の話をすることになるだろう。

 

言い忘れてたけどこの塔に入ったら後戻りできないから、ここまでに何もかも終わらせとくとよい。

召喚獣は全部仲間にしましたか?七曜武器は全部取りましたか?ブリッツボールでキッパのレベルを100にしましたか?

別にどれもしなくても大丈夫だよ。キッパのレベルは上げたほうがいいかもしれない。

私は、上げていませんが……。

 

この塔の中、「悪夢の中心」という名前がついているのだが、まさに悪夢みたいなカメラワークの中光るたまたまを10個あつめなければいけない。これがもう、まことにやばいゲームシステムとなっている。

最終局面でこのとんでもないゲームをぶっこんでくる発送、スクウェアにドSが居たことは間違いない。

誰だよカメラを無限にぐるぐるさせようぜ!!って企画したやつは。

光の柱が下から無限に生えて来て、それに当たったらやり直しになるので常に動き続ける必要がある。

酒飲みながらプレイしたら絶対にクリアできないと思う。

 

はれて光るたまたまを10個手に入れたらついに最終決戦の舞台へ……。

次回、やっとすべてがあるべきところに帰る!

 

今日は攻略本の話をします。

 

攻略本ってあるじゃないですか。

僕大好きなんだよね。

ただ昨今は攻略情報を得ようと思えば、インターネットの海で無限に拾えるわけで、攻略を目的に攻略本を買う利点は正直薄い。

これは20年前から言われていることだ。

コレクション目的とか、攻略情報に確たるエビデンスが欲しい!!みたいな人にはいいのかもしれない。

では攻略本の意義とは何なのか。同好の志である人たちには今更言うまでもないのだが、僕は「読み物としての面白さ」だと思っている。

 

スクウェアスタジオベントスタッフなる攻略本作成会社を持っていて、ここが出している攻略本で隠れない名シリーズが『アルティマニア』だ。

詳しい説明は省く。どういう攻略本かというと、京極夏彦の文庫みたいに分厚く、旬のキャベツよりも身が詰まっている。

ちょっと変な例えになってしまった。

FF10の『アルティマニア』は3冊出ている。ストーリーの『アルティマニア』、バトルの『アルティマニア』、そして『アルティマニア・オメガ』。

ゲームをクリアするために用いる攻略本は、ストーリーの『アルティマニア』だけでいい。

バトルの『アルティマニア』には詳細な敵のステータスや、ダメージ計算式、システムデータなど完全にやり込みユーザーのための攻略本となっている。

アルティマニアオメガ』には、そのどちらにも書かれなかった情報が掲載される。

この『アルティマニアオメガ』は、攻略にはほとんど役に立たない。

ストーリー考察が載っていたり、分岐条件や分岐後のストーリーが紹介されてたり、製作者インタビューがあったり、天野喜孝氏の画集が載っていたりという内容で、いわゆるところのファンブック的な書物なのだ。

 

そ……それだよ!読者(僕)が求めているものは!(画像略)

 

情報の密度とか、プレイするだけでは得られない設定の妙だとか、プレイする我々が「こうなのでは?」と考える妄想についてのアンサーになりうる裏話だとかが得られることは、読み物が持つ本来の娯楽としての側面を、ややもすると攻略に終始しがちな(大丈夫!どこかの出版社が出している攻略本をディスっているわけではありませんよ)攻略本というものに逆輸入したものであるとも言える。

 

ゲームというものを楽しむためには、その世界に没入することが非常に重要だと思っている。

こういった種類の攻略本は、世界に没入する助けになるだろうし、既に没入しきった人々のサプリメントとなるだろう。

このゲーム面白いぜ!となってのめり込むなら、とことんまでのめり込んだ方が有意義だと僕は思う。

そしてこの類のファナティックな攻略本を作っている人たちもまた、同じような気持ちだろう。

究極のマニアという書名にも、頭が下がる思いがする。

 

ファイナルファンタジーX アルティマニアΩ

ファイナルファンタジーX アルティマニアΩ

  • 発売日: 2002/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)