かぜはく電脳曼荼羅

玄秘学、食文化、ゲーム、生と死に非常な関心があります。

化銀杏

そうは言うが鏡花は人情ものも書く。

 

結婚生活にがうまく行ってない奥さんが親しい少年に夫の嫌なとこを愚痴りまくる話。

 

まず辞書引いたところ。

 

「芳さんかえ。」
「奥様、ただいま。」
 と下駄を脱ぐ。
「大層、おめかしだね。」
「ふむ。」
 と笑い捨てて少年は乱暴に二階に上るを、お貞は秋波もて追懸けつつ、
「芳ちゃん!」
「何?」
 と顧みたり。

 

秋波、

流し目のこと。

寒くなりかける頃の秋の波を、額の皺など物事の衰えるきざしにたとえていうこともある。

 

この話は案外難解な単語は少なくてこれくらい。

 

続いて膝を打った表現など。

 

(お貞、そんなに吾を治したいか)ッて、私の顔を瞻みつめるからね。何の気なしで、(はい、あなたがよくなって下さいませねば、どうしましょう、私どもは路頭に立たなければなりません。)と真実の処をいったのよ。
 さあ怒ったの、怒らないのじゃあない。(それでは手前、活計のために夫婦になったか。そんな水臭い奴とは知らなんだ。)と顔の色まで変えるから、私は弱ったの、何のじゃない、どうしようかと思ったわ。」

 

「(なぜ一所に死ぬとは言ってくれない。愛情というものは、そんな淡々しいものではない。)ッていうのさ。向うからそう出られちゃあ、こっちで何とも言いようが無いわ。
 女郎や芸妓じゃあるまいしさ、そんな殺文句が謂われるものかね。

 

結婚して即女房ほったらかして東京行ってる癖に一緒に死ねだなんて、こんな夫になってはいけませんよ。

 

この夫まじで駄目なやつなんですよ。

何かあったら子供に当たって物入れに閉じ込めたりとかね。

 

(前略)

と声に力を籠こめたりけるが、追愛の情の堪え難かりけむ、ぶるぶると身を震わし、見る見る面の色激して、突然長火鉢の上に蔽れかかり、真白き雪の腕もて、少年の頸を掻抱き、
「こんな風に。」
 とものぐるわしく、真面目になりたる少年を、惚々と打まもり、
「私の顔を覗のぞき込んじゃあ、(母様)ッて、(母様)ッて呼んでよ。」
 お貞は太く激しおれり。
「そうしてね、(父様が居ないと可いねえ。)ッて、いつでも、そう言ったわ。」

主人公が自分の死んだ子の思い出を語る場面。

子供にそんなこと代弁さすな。

直接言わせてないにしても、そう思わせてしまったのは夫婦お互いに責任があるよな。

旦那も駄目なやつだけど、このお貞も大概やべー女なんだよね。

 

しかしね、芳さん、世の中は何という無理なものだろう。ただ式三献をしたばかりで、夫だの、妻だのッて、妙なものが出来上ってさ。女の身体はまるで男のものになって、何をいわれてもはいはいッて、従わないと、イヤ、不貞腐だの、女の道を知らないのと、世間でいろんなことをいうよ。
 (中略)
 それでいて婦人はいつも下手に就いて、無理も御道理にして通さねばならないという、そんな勘定に合わないことッちゃあ、あるもんじゃない。どこかへ行こうといったって、良人がならないといえば、はい、起たてといえば、はい、寝ろといわれりゃそれも、はい、だわ。

(中略)

一体操を守れだの、良人に従えだのという、捉かなんか知らないが、そういったようなことを極めたのは、誰だと、まあ、お思いだえ。
 一遍婚礼をすりゃ疵者だの、離縁れるのは女の恥だのッて、人の身体を自由にさせないで、死ぬよりつらい思いをしても、一生嫌な者の傍についてなくッちゃあならないというのは、どういう理窟だろう、わからないじゃないかね。

鏡花の女性観です。

ヤマアラシのジレンマってあるじゃないですか。

人間もああいう風になってるんですよ。一人だと一人でいることが苦しくなり、誰かと居ればなぜか憎しみあってしまう。

これは人間の本能なのだが、だとしたらその本能に支配されてるのってダサくないですか?

ヤマアラシのジレンマ自体はトライアンドエラーで解決できる=適切な距離感を取ることが出来るわけだけど、試行錯誤によって解決策を追い求めることを辞めてしまうと苦しみにさいなまれる時間ばかりが多くなって、一緒にいることが苦痛になってしまう。

 

ではどうするか?アドラー心理学でもやればいいのではないかと僕は思います。

 

私はね、可いかい。そのつもりで聞いておくれ。私はね、いつごろからという確かなことは知らないけれど、いろんな事が重なり重なりしてね、旦那が、旦那が、どうにかして。
 死んでくれりゃいい。死んでくれりゃいい。死ねばいい。死ねばいい。
 とそう思うようになったんだよ。ああ、罪の深い、呪詛のも同一じだ。親の敵ででもあることか、人並より私を思ってくれるものを、(死んでくれりゃいい)と思うのは、どうした心得違いだろうと、自分で自分を叱ってみても、やっぱりどうしてもそう思うの。

(中略)

お貞がこの衷情に、少年は太く動かされつ。思わず暗涙を催したり。
「ああ姉様は可哀そうだねえ。僕が、僕が、僕が、どうかしてあげようから、姉さん死んじゃあ不可けないよ。」
 お貞は聞きて嬉しげに少年の手をじっと取りて、
「嬉しいねえ。何の自害なんかするもんかね、世間と、旦那として私をこんなにいじめるもの。いじめ殺されて負けちゃ卑怯よ。意気地が無いわ。可いよ、そんな心配は要らないよ。私ゃ面あてにでも、活きている。たといこの上幾十倍のつらい悲しいことがあっても、きっと堪えて死にゃあしないわ。と心強くはいってみても、死なれないのが因果なのだねえ。」

この姉様は、すんこくんがはっかいにゃに言う親愛や尊敬から来る姉さんのようなものかと思いきや、この少年はお貞に自分の実の姉(旦那にDVされて自殺している)を重ねており、話がややこしい。自分の姉と同じ髪型である銀杏返し(古くは若い娘の髪型)に結ってくれとお貞に懇願してお貞の家庭に波紋を起こしたりしている。結局最後までこの少年はお貞をお貞として見ずに、自分の姉の幻影として見ているなど、この話全員どっかしら倒錯しており、それがこの話を不気味にしている。

 

時彦はその時よりまた起たず、肺結核の患者は夏を過ぎて病勢募り、秋の末つ方に到りては、恢復の望み絶果てぬ。その間お貞が尽したる看護の深切は、実際隣人を動かすに足るものなりき。

 

この実際の使い方は副詞ですね。

ニンジャスレイヤーと同じ使い方です。訳するとActually.

 

「何、そう驚くにゃ及ばない。昨日今日にはじまったことではないが、お貞、お前は思ったより遥に恐しい女だな。あれは憎い、憎い奴だから殺したいということなら、吾も了簡のしようがあるが、(死んでくれりゃ可い。)は実に残酷だ。人を殺せば自分も死なねばならぬというまず世の中に定規があるから、我身を投出して、つまり自分が死んでかかって、そうしてその憎い奴を殺すのじゃ。誰一人生命を惜しまぬものはない、活きていたいというのが人間第一の目的じゃから、その生命を打棄ててかかるものは、もう望みを絶ったもので、こりゃ、隣れむべきものである。
 お前のはそうじゃあない。(死んでくれりゃ可い)と思うので、つまり精神的に人を殺して、何の報いも受けないで、白日青天、嫌な者が自分の思いで死んでしまった後は、それこそ自由自在の身じゃでの、仕たい三昧、一人で勝手に栄耀をして、世を愉快ろく送ろうとか、好きな芳之助と好いことをしようとか、怪しからんことを思うている、つまり希望というものがお前にあるのだ。
 人の死ぬのを祈りながら、あとあとの楽しみを思うている、そんな太い奴があるもんか。
 吾はきっと許さんぞ。
 そうそう好きなまねをお前にされて、吾も男だ、指を啣えて死にはしない。
 といつも思っていたんだが、もうこの肺病には勝たれない、いや、つまり、お前に負けたのだ。
 してみれば、お貞、お前が呪詛のろい殺すんだと、吾がそう思っても、仕方があるまい。

呪詛。

旦那の思想もご覧の通りちょっと歪んでいるのだが、しかしながらすべての人が全く理解できないものでもないだろう。

だが、各人いざ自分の中にある怒りがどのようなものであるかを見つめ直した時、その怒りがこの旦那の指摘にあたらないという人は少なかろう。

今の現代、殺してやろうとして殺す人より、それが出来ぬから他人の死を希うものが当然多いからだ。

そしてそれが遵法精神に満ちた思想であり、正しいものだとされているからだ。

 

 お貞、謝罪をしちゃあ可かんぞ。お前は何も謝罪をすることもなし、吾も別に謝罪を聞く必要も認めんじゃ。悪かったというて謝罪をすればそれで済む、謝罪を聞けば了簡すると、そんな気楽なことを思うと、吾のいうことが分るまいでな。何でもしたことには、それ相当の報酬というものが、多くもなく、少なくもなく、ちょうど可いほどあるものだと、そう思ってろ! 可いか、お貞、……お貞。」

 

いや全くそのとおりですよ。

 

旭光一射霜を払いて、水仙たちまち凜とせり。

この一文は実に鏡花。

ちょっとスムーズに出てこないですねこれは。

 

お貞はかの女が時々神経に異変を来たして、頭あたかも破るるがごとく、足はわななき、手はふるえ、満面蒼くなりながら、身火烈々身体を焼きて、恍として、茫として、ほとんど無意識に、されど深長なる意味ありて存するごとく、満身の気を眼にこめて、その瞳をも動かさで、じっと人を目詰むれば他をして身の毛をよだたすことある、その時と同一じ容体にて、目じろぎもせで、死せるがごとき時彦の顔をみまもりしが、俄然、崩折れて、ぶるぶると身震いして、飛着くごとく良人に縋すがりて、血を吐く一声夜陰を貫き、
「殺します、旦那、私はもう……」

死を願うくらいならいっそ殺せと言われたお貞の描写。やはりここでも精神の描写よりも、肉体の表現が著しいのが鏡花だ。

 

諸君より十層二十層、なお幾十層、ここに本意なき少年あり。渠は活きたるお貞よりもむしろその姉の幽霊を見んと欲して、なお且つしかするを得ざるものをや。

まじでぞっとするよこいつ。

人情物と思わせつつ、怪談話みたいにして締めるのが鏡花の趣味が出ている。

 

この話もまたすごく読みやすいんですよ。

鏡花の大好きな既婚女性の憂いみたいなのがよく描かれているので、暇なら読んでほしい。